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始皇帝(前259−前210)

始皇帝(前259−前210)紀元前3世紀のおわりころ、中国はいくつもの国にわかれていました。それらの国をほろぼし、中国で初めての統一国家をきずいたのが始皇帝です。

紀元前247年に秦の襄王が亡くなり、13歳の王子政が王位をうけつぎました。政王がじっさいに政治を手がけるようになったのは、23歳のときからです。それから38歳までに、韓、趙、魏,楚、燕、斉の国ぐにをつぎつぎにほろぼして、中国のほとんどを秦の領土にしてしまいました。紀元前221年、天下をまとめた政王は、みずから「皇帝」というよびかたを考え、いちばんはじめの皇帝という意味で「始皇帝」と名のることにしました。こうして中国は、歴史のうえで初めて大きく統一され、皇帝は、そのご2000年以上もつづくことになりました。

始皇帝は、まず、全国を36の郡にわけ、その下に県をおき、県から郡、郡から中央の政府に、権力が集まるしくみをつくりました。文字も統一しました。なん億人もいる大きな中国が、これまでに政治や文化でまとまってきたのは、秦の時代から文字が同じであったおかげでしょう。始皇帝は、巡幸といって、領土のあちこちにでかけていきました。皇帝の威厳をしめすためでもありましたが、これによって道路づくりがすすみました。北方に巡幸したときは、匈奴という敵に大軍をむけて追いはらい、二度と攻めこんでこないように、万里の長城をきずきました。えんえん2400キロメートルにもおよぶ城壁です。

皇帝の専制政治をすすめるためには、批判をさせたり、反乱をおこさせてはならないと考えました。そこでまず、人民の武器をとりあげてしまいました。そして、思想を統一するため、法家(政府がもちいた学問)いがいの教えを書いた書物は、ぜんぶやきすてさせました。学者たちは抗議しました。始皇帝は,抗議するものをかたっぱしからとらえて、460人あまりを生きたまま穴埋めにしてしまいました。「焚書坑儒」といって、始皇帝の歴史にのこる悪政です。人の意見に耳をかさず、自分の思いどおりにすすめる始皇帝の政治は、だんだんひどくなっていきました。都に阿房宮というぜいたくな大宮殿を建てたり、驪山にりっぱな自分の墓をつくったりしました。

これらはみな、人民の血と汗となみだによって、なしとげられました。工事にかりだされ、税をしぼりとられて、人びとは苦しみ、皇帝をうらみました。

やがて始皇帝が亡くなると、各地で反乱があいつぎ、わずか3年にして秦はほろんでしまいました。


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