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武帝(前159ころ−前87)

武帝(前159ころ−前87)中国に、紀元前202年からおよそ200年つづいた、前漢とよばれた時代がありました。武帝は、この前漢のはじめのころの皇帝です。紀元前141年にわずか16歳で帝位について45年のあいだ国をおさめ、中国を、それまでにない大きな国に育てあげました。

「国の政治を,ひとつにまとめなければならない」

武帝は、まず、地方の政治をかんしさせる役人をふやし、さらに、きびしい制度や罰をもうけて,国内で勢力をふるおうとしている武将たちをおさえつけてしまいました。また、儒教を国の学問に定め、これを学んだものだけを役人にとりたてる制度もつくり、国の政治がちつじょ正しくおこなわれるようにしました。

「敵をほろぼし、国を守らなければならない」

国内をしずめた武帝は、長いあいだみつぎものを取られて頭をさげてきた匈奴と、およそ10年にわたって戦い、うらみのこもったこの強敵を、ゴビ砂漠の北のほうへ追いはらってしまいました。

武帝は、匈奴をほろぼした威力で西のほうの国ぐにと交わりを結び、のちにシルク・ロード(絹の道)とよばれるようになった、ヨーロッパとアジアとの交易の道をひらきました。そして、いきおいにのった武帝は、さらに東や南にも遠征し、朝鮮やベトナムの北部までも従えるようになりました。

ところが、国を広げることと外交に力を入れすぎたため、やがて財政がみだれてしまい、武帝は,国の金をふやすために塩や鉄の生産を商人の手から取りあげてしまいました。また、国民の税金を重くし、その取りたてをきびしくしました。しかし、その結果は、国の金はゆたかになったかわりに、貧しさに苦しむ商人や農民が国じゅうにあふれ、武帝の政治はしだいにおとろえてしまいました。

武帝がおこなったのは、皇帝の権力をふりまわした専制政治とよばれるものでした。国民ひとりひとりのしあわせをたいせつにする、民主主義の政治ではありませんでした。でも、武帝が、いつおそいかかってくるかもしれない匈奴をうちやぶって国を守ったことは、いまも中国の人びとにたたえられています。武帝が東のほうまで勢力を広めたことは、日本にとってもさいわいなことでした。日本と中国は近くなり、やがて中国の文化が日本に伝わってくるようになりました。


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