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アショカ(生没年? 在位前268ころー前232)

アショカ(生没年? 在位前268ころー前232)紀元前3世紀のころ、インドは、たくさんの小さな国にわかれていました。このインドを支配しようとする3つの勢力があり、その中で、しだいに力を大きくしてしてきたのがマウリヤ家です。マウリヤ家の初代の王チャンドラグプタは、強力な軍隊をひきいて、西へ西へと進み、他の勢力をおさえつけ、ついに史上はじめてのインド統一に成功しました。

マウリヤ帝国は、2代目のビンドゥサーラにひきつがれ、さらに領土を広げていきましたが、国家として、ゆるぎないものにしたのは、その子アショカです。

アショカは、祖父や父と同じように、はげしい性格で、戦いがすきでした。王位を争って兄弟をつぎつぎと殺し、マウリヤ家3代目の王となったのは、紀元前268年のことです。

マウリヤ帝国を引き継ぐと、役人の力を強くし、国の産業を中央でしっかりとにぎるようにしました。このため、富が王のもとに集まり、アショカの力は年とともに絶対のものとなっていったのです。アショカが王になってから10年間というもの領土を広げるための戦争は、たえずくりかえされました。

この月日の中で、アショカの心には、戦争のむごたらしさが、しだいにしみこんでいきました。カリンガ国との戦いで10万人もの死者をまのあたりにしたアショカは「戦争はもうやめよう」と心に決めます。

やがて、アショカは、仏教の教えにしたがい、王ひとりの富を願うのではなく、国の平和のための政治をこころざすようになりました。祖父の代からつづいてきた、きびしいきまりは、思いきって改め、病院や養老院をたくさん建て、国民ひとりひとりの幸福を願う王として生まれかわったのです。

いまでも、インドの各地に「アショカの碑文」という、石でできた柱が残っています。アショカはこの柱に、人びとが守らねばならないことを刻みこみました。

たとえば、動物を殺さないこと。父や母をうやまい、友人をたいせつにすること。まずしい人や弱い人を助けることなどをわかりやすい文で石に刻み、人びとの目につきやすいところをえらんでたてたのです。

アショカは、国内にこうした教えを広めたばかりではなく、タイやビルマ(ミャンマー)、遠くはエジプト、ギリシアなどに使いを送り、仏教を広めるために力をそそぎました。「すべての国民は、みんなわが子」とのべたアショカは、国民の父として、マウリヤ王朝を作りあげたのです。


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