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達磨(5−6世紀ころ)

達磨(5−6世紀ころ達磨は、5世紀から6世紀にかけての人だという以外、生まれた年も死んだ年もはっきりしません。確かな記録がないので、どのような人生を送ったのかほとんど不明です。禅を広めるために、中国へやってきた達磨は、遠いインドの人でした。禅とは、仏教の教えの1つで、ひたすら座りつづけ、心を静めるというきびしい修行をします。

伝説によると達磨は、ある王国の第3王子として生まれ、少年時代から、えらいお坊さまについて仏教を学びました。数十年もの修行をつづけたのち、インドじゅうをまわって教えを説きますが、だれ一人として耳をかたむける人はいません。

達磨は、新しい土地を求めて中国へわたりました。梁の武帝は、そのころ仏教を手厚く保護し、自らも熱心に道を求めていました。達磨を招いて、ほこらしげに話しました。「わたしは、寺をたくさん建て、お坊さまの生活のめんどうまで見ているのだから、たいそうなむくいがあるでしょう」

達磨は表情を少しも変えずに一言「何もない」と答えました。同じ仏教でもすでに中国に広まっていた教えと、達磨の禅とはまるでちがいます。武帝がつづけて「この世で最高の教えとはどんなものか」とたずねると、達磨は同じように一言「そんなものはない」とそっけない返事でした。武帝は、とうとう怒りだして「あなたは、いったい何者ですか」とさけびました。達磨は、いささかもたじろがず「知らない」と静かに答え、その場を去りました。

まだ禅が理解される時期ではないとさとった達磨は、魏の国へ行き、嵩山の少林寺にこもりました。長い座禅修行に入り、「面壁九年」とよばれる伝説を残します。壁にむかい9年間も座りつづけ、教えを受けようとする僧がたずねてきても、全然相手にしませんでした。

12月のある寒い日、慧可という若い僧がやってきました。いつものように達磨は返事もしません。慧可は夜どおし雪のふる庭に立ちつくし、朝をむかえました。雪にうずもれた慧可は、短刀をとりだして、いきなり自分のうでを切り落とし、片手でそのうでをさしだしました。達磨は、慧可の決意をみとめ、弟子にむかえました。そして禅のすべてを説きあかしたということです。達磨の生涯は、ほとんど明らかになっていませんが、150歳でこの世を去ったといういい伝えがあります。

インドに始まった禅は、やがて達磨によって中国に広められ、禅宗となって発展しました。


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