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玄奘(602−664)

玄奘(602−664)仏教は、紀元前6世紀ころ、インドのシャカが開いた宗教です。中国にも伝わり、唐の時代にはたいへん盛んになりました。

玄奘は、幼いころから仏教に親しみ、すぐれた教養を身につけていました。ところが、勉強をすすめるうちに、中国仏教の教えは、ずいぶんとあいまいに伝えられていることがわかりました。疑問を解くため、いろいろな先生のもとへ弟子入りしましたが、人づての勉強では結局、要点がはっきりしません。また中国にもたらされた、ごく少ない書物だけでは、まちがった教えと正しい教えとの区別もできず、玄奘は頭をかかえこんでしまいました。どんなに学問のあるお坊さまを訪ねても、まちがいだらけの本から得た知識をくり返し聞かされるだけです。

玄奘は、仏教の国インドへ行かなくては、正しい理解は不可能だと考え始めました。そこでまずインドのことばを勉強して準備にかかりました。

いよいよ決意も固まり、インド行きを皇帝に願い出ましたが、玄奘の希望をまったくとりあいません。同じ気持ちをもっていた仲間たちは次つぎにあきらめてしまいましたが、玄奘だけは、ねばり強くくじけませんでした。

ある日、玄奘はこっそりと国を出て、ただ一人でインドへむかいました。パミールのけわしい天山山脈をこえ、中央アジアのやけつくような砂漠を行く、数千キロの道のりです。高山病になやまされ、うえとかわきに苦しみ、どろぼうにおそわれることもしばしばという苦難の旅がつづきました。玄奘がめざしたところは、仏教の都ナーランダーです。しかし、道中新しい考えをもった僧に会えば、とどまって研究にはげみました。

ナーランダーには、ほかの国からもたくさんの優秀な僧が集まっていました。玄奘はともに勉強にうちこみ、またインド各地をめぐって、仏の道をきわめ、りっぱなお坊さんになりました。

すでに40歳をすぎた玄奘は、そろそろ唐に戻って、正しい経典をのちの世にのこしたいと思い始めました。慕いよる弟子たちに別れを告げ、たくさんの書物や仏像をたずさえて、インドをあとにしました。十数年ぶりで中国に帰った玄奘は、人びとから大かんげいを受け、皇帝も密出国の罪をとがめないばかりか、偉大な功績をたたえ、大慈恩寺という寺院を建ててあたえました。ふるさとの玄奘は、1335巻ものお経を中国語に翻訳して、中国の仏教を大いに発展させ、『大唐西域記』という旅行記を書いて、学問の進歩を助けました。

高僧玄奘は、三蔵法師の名で親しまれています。


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