オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝
(3)

楊貴妃(719−756)

楊貴妃(719−756)絶世の美人が、はなやかな生活をおくり、やがて、あわれな死をとげるという悲劇は、エジプトのクレオパトラ、唐の楊貴妃に代表されます。

すきとおるような白いはだ、しなやかな黒髪、かがやくように美しい楊貴妃の魅力は、玄宗皇帝の心をとりこにしました。楊貴妃は、はじめ玄宗の息子寿王瑁の妃でしたが、玄宗の目にとまって、皇帝の妃にむかえられました。そして玄宗に愛され、宮廷の女性としては最高の位につきました。745年、楊貴妃が26歳、玄宗60歳のときです。

美しいだけでなく歌や踊りもじょうずでかしこい楊貴妃を玄宗は、ひとときもそばからはなさずにかわいがりました。玄宗は楊貴妃に夢中になり、楊貴妃の身うちを高い位につかせ、権力をあたえました。楊貴妃の一族で楊国忠という男は、酒のみで、ばくちうちで、教養のとぼしい人でした。この楊国忠が皇帝をたすけて、政治をとり行う宰相にまで出世してしまったので、人びとはあきれかえりました。

玄宗は、皇帝として長いあいだりっぱな政治を行ない、文化をさかんにしてきました。しかし、楊貴妃があらわれると政治のために時間をとるのが、めんどうになってしまいました。夜おそくまで宴会をひらいて酒を飲み、ぜいたくな遊びに明けくれる毎日です。人びとは重い税金に苦しんでいるというのに、楊一族のわがままなふるまいは、とどまるところをしりません。玄宗はそのころ、政治をすべて楊国忠にまかせきってしまったので、唐の国はかたむき、宮廷はみだれきっていました。

安禄山の反乱がおこったのは、そんなときです。安禄山はもと玄宗の家来でしたが、755年、楊国忠を討つために軍隊をひきいて、都へ攻めのぼってきたのです。玄宗は、安禄山を信用していただけに、びっくりしました。平和が長くつづいて、国の守りをおこたっていたので、武器もさびついて使いものになりません。玄宗は楊貴妃とその一族をつれて、将兵に守られ、蜀の国へのがれようとしました。長安の都から西へ50キロメートルほどの馬嵬という村まできたときです。皇帝にしたがう将兵のあいだからも楊一族に不満の声がわきあがりました。玄宗の手ではしずめることができません。楊国忠がきりころされました。そして楊貴妃も、玄宗が命ごいをしたのもむなしく、ころされてしまいました。

玄宗はたいへん悲しみ、楊貴妃の似顔絵を、朝夕ながめ暮らしたということです。


もどる
すすむ