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王安石(1021−1086)

王安石(1021−1086)中国の宋の時代は、勢いのある時代でした。しかし国力をのばそうと何度も戦争をくり返したため、国の資金が不足して経済が行きづまっていました。しだいに社会全体が傾く気配を感じて、政治のたて直しを求める声が高まりました。豊かな知識を持つ人たちが、それぞれ対策を考えましたが、その中で注目された人が、王安石です。

安石は、地方の役人でした。すぐれた能力を見こまれて、中央に招かれることもありましたが、そのつど現場での仕事を希望して断りつづけていました。ところが、新しく神宗が皇帝に即位すると、安石を顧問として中央の政界に呼び出しました。

安石は、山ほどたまっている問題を、的確に判断し処理して行きます。予想以上のすぐれた能力を認められて、2年ごには宰相にとりたてられました。

あるがままの社会をするどく見つめ、民衆の生活にあった政策を次つぎに実行しました。安石は、経済をたて直し、国を安定させるためには、金貸しや地主、大商人などよりも、力の弱い商人や貧農を第1に救うべきだと考えていました。地方の役人をしていたころ、人びとに、毎日接して養われた考えです。皇帝に信頼された安石は、す早い決断で思い切った新法とよばれる制度をつくりました。

青苗法は、農民が1年のうちでもっとも苦しい時期に、国の貯蔵米や種もみを貸しつけ、収穫期にわずかな利子といっしょに返させるというものです。町の貧しい商人にも、市易法で安い利子で金を貸しました。均輸法は都と産地のあいだの流通がなめらかにいくようにしたものです。募役法では、これまで国の仕事を人びとにむりやり押しつけていたものを、仕事のかわりに金をおさめさせ、それで人をやとって仕事をさせる方法をとりいれました。そして、労役をまぬがれていた役所や寺院の人たちにも、金をださせることをつけくわえました。

大商人などがもうけすぎている分を国の財産とし、貧しい商人や農民の暮らしを安定させて、国をゆたかにしようとした政策です。しかし、大商人や大地主たちは反対しました。その先頭に立ったのが司馬光や鴎陽修です。安石をはげしく非難しましたが、安石はくじけませんでした。

やがて安石は、新法をまもる人に宰相をひきつぎ、引退して江寧に帰りました。それから10年ご、神宗が亡くなり、宣仁太后が政権をひきつぐと、司馬光が宰相となって、たちまち新法をやめてしまいました。


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