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李成桂(1335−1408)

李成桂(1335−1408)1392年から1910年までのおよそ500年のあいだ、朝鮮半島に李氏朝鮮とよばれた、王朝時代がありました。李成桂は、朝鮮をひとつにまとめて李王朝を開き、第1代めの王となった武将です。

1335年に、現在の北朝鮮の永興に生まれた李成桂は、少年時代から、馬に乗ることや、弓を射ることにすぐれていました。そのため、当時朝鮮半島をおさめていた高麗王に武士としてつかえ、戦ではつぎつぎにてがらをたてました。また、朝鮮のまわりの海にあらわれ、人びとが倭寇とよんでおそれていた日本の海賊を、たびたびうちやぶり、やがて軍司令官に任命されて、国の政治にまで力をもつようになりました。

同じころ中国では、明の国が起こり、それまで高麗王が従ってきた元は、しだいにおとろえつつありました。

ところが、高麗王朝は、いつまでも元にしたがうことをやめません。しかも明と戦いを始めた元におうえんの軍をおくることをきめ、李成桂に兵をつれて明へ行くことを命令しました。

「これからの高麗は、明となかよくしなければいけない」

李成桂は、元のみかたをすることに反対でした。でも、国の命令であればしかたがなく、軍をひきいて明へ出発しました。

しかし、中国との国境まで行った李成桂は、明と戦うのがばかばかしくなり、そのままひき返して逆に高麗王の城を攻め、元に頭をさげようとする人びとを追いはらってしまいました。

「みだれている政治を改めて、国をたてなおすのだ」

李成桂は、新しい王をたて、自分が中心になって国の政治にとりくみ始めました。まず第1に土地の制度を改め、土地をぜんぶ国のものにして、貴族にも役人にも農民にも、国がきめた土地をわけあたえるようにしました。この制度の目的は、かってに領地を広げて勢力をふるっていた貴族たちの力を、すっかり弱めてしまうことにあったのです。

1392年、李成桂は、ついに王位につき、400年以上もつづいた高麗にかわって新しい王朝を開きました。また、その翌年には、国号を朝鮮と定め、1396年には、国の都を開京(いまのケソン)から漢陽(ソウル)に移しました。

李氏朝鮮国は、中国に始まった儒教を重んじ、農民をたいせつにしながら、すこしずつ栄えていきました。しかし、1408年に李成桂が死んで1世紀半をすぎたころ、外国から侵略されるようになり、国はふたたびみだれていきました。李成桂は死ご太祖とよばれ、朝鮮国建国の1ページをかざっています。


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