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クロンウェル(1599ー1658)

クロンウェル(1599ー1658)ルターやカルバンの宗教改革以後、ローマ教皇の支配をうけない新しいキリスト教を新教(プロテスタント)といい、これまでの教会を中心とする教えを旧教(カトリック)といいます。そしてイギリスでは、新教の信者を清教徒(ピューリタン)とよびました。

クロンウェルは、1599年イングランド東部の小さな村に生まれ、清教徒である母親の影響をうけながら育ちました。17歳のとき、ケンブリッジ大学に入りましたが、1年ほどで中退してしまい、ロンドンへでて司法学院に学びました。クロンウェルは、29歳で下院議員にえらばれ、イギリス議会に登場します。

当時イギリス国王のチャールズ1世は、王の権限は神から与えられたもので、国民は政治に口をだしてはならないといって独裁支配を行なっていました。信仰のうえでもイギリス国教を強制して、清教徒をおさえつけ、王の権力は高まる一方です。

そのころのイギリス議会は、王や貴族とむすびついた旧教の議員と、商工業者や農民の利益を代表する清教徒の議員が、はげしく対立し、宗教の争いが、そのまま政治の争いに結びついてにらみあっていました。

やがて、国民のための政治をとなえる清教徒議員の力が大きくもりあがり、国王の横暴をおさえる「権利の請願」という法案を成立させました。議会の同意なしに税をかけたり、不法に国民を逮捕したりしないという法律です。

しかし、国王は清教徒議員を逮捕し、議会を解散してしまいました。そのご11年ものあいだ議会をひらかず、言論や信仰をきびしくとりしまり、重税を国民におしつけました。1640年、国王はお金に困って1度だけ議会をひらきます。でも、国王の無法ぶりにおこった清教徒議員の攻撃にあい、すぐに議会を解散してしまいました。そして国王は、軍隊をむけてきました。

議会も革命軍をつのり、王の軍隊にたちむかいました。こうして清教徒革命の火の手があがったのです。クロンウェルは、革命軍の副司令官として、先頭に立って戦いました。勝利をおさめたクロンウェルは、共和政を宣言し、議会のとりまとめに力をつくしました。しかし、思うようにはかどらず、しだいに自分の考えだけで、政治を動かし始めました。あらゆる権力を、すべて自分のものにして、しだいにきびしい独裁政治となりました。人びとの楽しみとする、芝居や競馬まで禁止したので、たいへん評判をおとしてしまいます。人びとの心は、離れて行き、クロンウェルが死ぬと、ふたたび王政にもどりました。


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