オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝
(6)

レンブラント(1606ー1669)

レンブラント(1606ー1669)17世紀、オランダで活やくしたレンブラントは、現在もおおくの人に親しまれている世界的な画家です。

レンブラントは、粉屋の8番めの子どもとしてライデンに生まれました。14歳でライデン大学に入学して、法律を勉強していましたが、しばらくすると、幼いころからの夢だった絵かきになりたくて、大学をやめてしまいました。

レンブラントは、画家のもとに弟子入りして、3年間基本的な知識や技術を身につけたのち、今度はアムステルダムへ行き、そのころたいへん評判のよかったラストマンに、半年間指導を受けました。ラストマンは、ローマに留学したこともあり、新しい芸術にくわしい人です。レンブラントが学んだことは、少なくありませんでした。絵をかくのに必要な色彩や構図について細かい教育を受けたばかりでなく、絵の主題に、宗教や歴史をあつかう手法を習得するなど、大きな影響を受けています。

新人として、美術界に登場したレンブラントは、アムステルダム市の外科医組合から注文を受けて『トゥルプ博士の解剖学講義』という絵をかきました。それ以前の伝統的な絵とは違って、工夫された構図と、人物のさまざまな表情をたくみにとらえていることで、緊張感あふれる画面でした。新鮮な画風に人びとは驚き、レンブラントはいちやく人気画家になりました。絵の注文が次からつぎへと来て、行列ができるほどです。

オランダは、スペインの支配からようやくぬけだして、町中に明るい活気があふれていました。芸術も市民に支えられて、たいへん盛んです。この時代には、市民生活に根ざした身近な作品がおおく制作されています。

ところが1642年に市警隊の注文でかいた『夜警』という作品は、たいへん変わっていました。市警隊の肖像ですが、隊とは何の関係もなさそうな人物ばかりで、中には死んだニワトリを肩にかついでいる、意味不明の少女もいます。明暗の効果をいかした奥ゆきのある名作でしたが、どう理解したらよいのか、人びとは見当もつきません。

レンブラントの絵の売れ行きが急に落ちたのにくわえ、それまでの浪費がたたって、生活は日ごとに苦しくなっていきます。混乱した毎日を過ごし、とうとう破産してしまいました。財産をすべて手放し、それからは画商の使用人となって絵をかきつづけました。レンブラントは芸術にますますうちこみ、神秘的なほど深みのある作風になります。人の心の奥底にしみこむような絵をのこして、この世を去りました。


もどる
すすむ