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ルイ14世(1638ー1715)

ルイ14世(1638ー1715)フランスのブルボン王家では、1643年にルイ13世が亡くなり、子のルイ14世が、わずか5歳で国王の位をつぎました。ルイ14世は、両親の結婚から22年もたって生まれた王子です。即位はしても、実際の政治は、母親のアンヌと宰相のマザランが行ないました。それでもルイ14世は、子ども心に、一国の王として「ぼくは、だれよりも偉い」と信じ、わがままいっぱいに育ちました。やがてルイ14世は、絶対君主の政治をおしすすめ、権力をふるうようになります。

ルイ14世が自分で直接政治にたずさわるようになったのは、マザランが死んだ1661年からです。もう宰相という総理大臣はおかず、国王自らの手で政治を行なっていくことにしました。

「宰相に政治をまかせてはいけない。王自身が国を治めることこそ、神からあたえられた権限だ。私そのものが、国家である」国土も国民も、自分のものであると23歳の若い王は考えました。最高国務会議も形だけのもので、ルイ14世の一声ですべてが決められました。

祭りの時、王が着る衣装には、太陽がいちめんにデザインされています。喜びを生む太陽、永遠に輝く太陽を、王のシンボルとしたのです。人びとはルイ14世を「太陽王」とよびました。

ルイ14世は、自分と違う考えをもつ政治家や貴族を、どんどん追放しました。それまで、行政官や軍の司令官になるのは、名門の貴族に限っていましたが、これを、金持ちの商工業者から人を採用し、役につかせました。たとえば、国の経済を豊かにするために、コルベールという人を財務長官に任命しました。コルベールは毛織物商人の息子でしたが、王の政策をたくみにとりまとめて大きなはたらきをしました。ヨーロッパで、もっとも強い軍隊をつくった陸軍大臣のルーボアという人も、商人の出身でした。このようにしてルイ14世は、国の政治を改革し、同時に王の権力も強くしていったのです。しかし、絶対王政のゆきすぎは、国民を苦しめました。

そのころ国内に、新教徒がふえてきました。これに対し、旧教の王は、祖父アンリー4世が信仰の自由をみとめたものを廃止して、新教徒の地位や財産をとりあげるなどの迫害をくわえました。このため、数十万人の新教徒たちが、国外に逃げだしたといわれます。ルイ14世が、世界一豪華なベルサイユ宮殿を建てたのは1682年のことです。昼も夜も、音楽やバレーが演じられ、ぜいたくにパーティーをくりひろげている間に、フランスの国力はだんだんおとろえていきました。


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