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ピョートル大帝(1672ー1725)

ピョートル大帝(1672ー1725)ピョートル大帝は、頑丈な体と何ものにも負けない強い意志を持ち、ロシアの近代化をすすめました。ピョートル大帝が生まれたころのロシアは、たいへんおくれた国でした。政治のすすめ方が古く、そのため産業や文化、教育など、あらゆる点で西ヨーロッパにおくれをとっていました。

ピョートルは、少年時代を宮廷ではなく、モスクワに近いあるいなかの村でひっそり暮らしていました。高い身分にもかかわらず、近所のふつうの住民と自由に交際することができました。同じ土地に外国人ばかり住んでいる所があったので、ロシア人のまだ知らない、進んだ知識をたくさん耳にしました。ピョートルの胸はときめきました。数学や建築、航海術をはじめとして、工作、印刷まで幅広く知識を修得しました。また、いなかの子どもたちと兵隊遊びをして、野や山をかけまわる活発な少年でした。この兵隊遊びは、のちに本格的な軍隊となり、ロシアの軍事政策の中心となります。

ピョートルは、22歳の年から、皇帝としての仕事を始めます。国力をのばそうと、すぐれた計画をたて、す早く実行しました。

トルコにあるアゾフというとりでは、ロシアが外交政策をすすめるのにじゃまなところです。さっそく、自分の支配におこうとしましたが、戦力不足で失敗してしまいます。そこで、ピョートルは、有名な外人技術者と腕のよい職人を国じゅうからかき集め、海戦のために軍艦をつくらせました。ピョートル自身が現場で監督し、寒さと重労働にたえられずに倒れる者には、むちの雨をふらせ働かせました。1696年、再びアゾフを攻め、占領に成功すると、勢いにのって、ますます海軍の強化につとめました。

疲れを知らぬ行動力で、必要な知識や技術は、自分自身の手で学びとり、吸収しました。1697年には、名前を変え、皇帝の身分をかくして、海外を視察に行きました。オランダは、造船の技術が進んだ国です。ピョートルは、職人の見習いとして、アムステルダムの造船所にもぐりこみ、基本から勉強しました。汗と油にまみれ、へりくだったすがたは、皇帝とは思えませんでした。一方、政治や経済についても、西ヨーロッパの進んだ考えをとり入れ、各方面の学者や専門家を連れ帰って、ロシアの根強いおくれを解決しました。

ピョートル大帝は、人なみ以上の体力と気力の持ち主でしたが、おぼれている部下を助けようとして、つめたい海に飛びこんだのがもとで体を弱らせ、死んでしまいました。


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