オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝
(6)

ヘンデル(1685ー1759)

ヘンデル(1685ー1759)ヘンデルは、1685年2月にドイツのハレというところで生まれました。ちょうどその1か月ごに、おなじドイツでバッハが誕生しています。二人とも、バロック音楽の完成者として、世界に名をのこしました。バッハが国内で活躍したのに対して、ヘンデルは、イタリアで学んだあとイギリスへ行って、おおくの仕事をしたので、むしろイギリスの作曲家といわれています。

ヘンデルの、音楽家になりたいという幼いときからの願いを、父はなかなか聞きいれてくれませんでした。父はヘンデルを法律家にさせたかったのです。ヘンデルは、父にかくれて夜中にこっそり音楽の練習にとりくみました。

ある日、父がつかえる公爵の宮廷に招かれて、7歳のヘンデルがオルガンをひきました。ヘンデルの名演奏に感心した公爵は、父に、しっかり教育してオルガン奏者にさせるように説きました。それからのヘンデルは、音楽の先生に指導をうけて、演奏と作曲のうでをみがいていきました。

18歳の年に、そのころドイツオペラの中心地だったハンブルクへ行きました。オペラ劇場のバイオリンひきで生計を立てながら、積極的に音楽の勉強をします。しかしある時、オルガン奏者として、名誉ある地位を望み、名の知れた老オルガン奏者の後継者になろうと考え、遠方まで訪ねたことがあります。ところが、思いもかけないことに、自分の娘と結婚しなければ、弟子にもしてやらないという条件を出されました。気に入らない娘なので、あわててハンブルクへ逃げ帰りました。それからのヘンデルは、心を入れかえて作曲にうち込みました。

そのご、イタリアへおもむき、おおらかで親しみやすいおおくの曲を発表して、たちまちヘンデルは、評判になりました。

木の葉が色づく秋、25歳のヘンデルはイギリスに渡りました。以後イタリア・オペラの作曲家、くわえて劇場経営者として、一生イギリスで活動します。なん度も大成功と破産をくり返しながら『水上の音楽』『メサイア』の傑作を生みだしました。

ロンドンで『メサイア』が初演されたとき、国王ジョージ2世は、第2部の最後に歌われる「ハレルヤ・コーラス」のあまりの感動に、思わず立ちあがって聴きました。それ以来、いまでもこの雄大なコーラスが演奏されると、全員起立して聴くという習慣になっています。

ヘンデルの音楽には、イタリア人の解放的な明るさと、ドイツ人のふかい情感と、イギリス人の伝統につちかわれた力強さとがまじりあって、ゆたかな感情のほとばしりが感じられます。


もどる
すすむ