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モンテスキュー(1689ー1755)

モンテスキュー(1689ー1755)ヨーロッパは、暗く重苦しい封建社会から、ようやく脱け出そうとしていました。経済の進んでいたイギリスでは、どの国よりも早く市民革命がおきました。同時に合理的な物の見方、考え方が生まれ、周囲の国ぐにを刺激しました。そして、フランスにも新しい精神が芽生えるようになりました。

モンテスキューは、フランスのボルドーにほど近いラ・ブレードに生まれました。16世紀からつづく、古い貴族の家柄でした。大学で法律を学び、卒業ごも勉強をつづけていましたが、27歳のとき、伯父が亡くなり、財産と地位を相続しました。高等法院の副長官となり、モンテスキューは若くして、安定した身分を得ることとなります。

あるとき『ペルシア人の手紙』という書物が町じゅうで評判になりました。当時の習慣やパリの文明をするどくみつめ、たくみに批判している本です。古いものをためらわずに、洗い流そうとする新鮮な感覚が、人びとの共感をよびました。作者の名前は、かくされていたのですが、すぐにモンテスキューだと見破られ、たちまち有名になりました。

絶好の機会でした。モンテスキューは不動の評価をかちとろうとパリに出ます。宮廷貴族の集まりに参加したり、軽い文学作品を書いたりしました。パリに住みつづけていたのは、いずれ名誉ある「アカデミー・フランセーズ」の会員になるつもりでいたからです。ところが、モンテスキューをこころよく思わない人の反対で、いつまで待っても目的を果たせません。しかたなくあきらめかけていたところ、話が急にすすみ、晴れて会員になることができました。

やがてモンテスキューは、自分の考えを深め、見聞を広げるために外国旅行を計画しました。ハンガリーの鉱山見学をふりだしにイタリア、ドイツ、オランダを回り、イギリスに渡って2年間滞在しました。イギリスでは、議会を見学し、おおくの書物を手に入れ、新聞を毎日たんねんに読むという、実りおおい生活を送りました。

フランスに帰国ごは、法律と政治を論じたものを書き始めました。大がかりな計画をたて、法律、歴史、地理、経済、政治、思想といった各分野の勉強からとりくみました。広大な準備のすえ、完成したのは『法の精神』という本です。政治の三権分立を主張したこの作品は、フランス革命のよりどころとなったり、「人権宣言」やアメリカ合衆国の憲法に大きな影響を与えたりしました。


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