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(7)

ラボアジエ(1743−1794)

ラボアジエは、近代科学の父とよばれ、まちがっていた科学の理論を次つぎに正し、それを実験で証明しました。おおくの業績をのこした偉大な学者です。しかし、1789年におきたフランス革命によって、おしくも命を奪われてしまいました。まだ元気で活躍中の身でした。

アントワーヌ・ローラン・ラボアジエは、パリの恵まれた家庭に生まれました。父は弁護士で、母も弁護士の家に育った人です。幼いころから名門校に通い、すぐれた教育をうけたラボアジエは、勉強がなによりもすきだという少年時代を過ごし、やがて大学にすすんで、法律を学びます。しかし、関心はしだいに自然科学の方面へむいていきました。化学をはじめとして地質学、植物学、天文学など、広く学びました。23歳の時、早くも都市の夜間照明についての論文を書いて、化学アカデミーから金メダルを受賞しました。ラボアジエが手がけた研究は、いろいろな分野にまたがっています。その中でも、元素の研究は、近代科学の橋渡しとなった、もっともかがやかしい業績です。

それまでは、火と水と土と空気の4種類が元素であると信じられていました。ラボアジエは、さまざまな実験をくり返し、4元素説が間違いであることを証明しました。そして、新たに酸素、窒素、水素など30種の元素が存在していることを確かめました。ラボアジエが、これらの研究結果をもとに出版した『化学教科書』は、近代科学の道しるべとして高い評価をうけました。

ラボアジエの活躍によって、化学は急速な進歩をとげました。しかし、社会のしくみやしきたりは、古い形で根強く残っていました。人びとは、不合理な制度にしばられて、苦しい生活にひたすら耐えていました。おおくの不公平は、少しも改善されずに、不満はふくれ上がるばかりでした。そして、人びとの不満は、絶対王政へのはげしい敵意となって、フランス革命に発展しました。きびしい追及が始まり、ラボアジエにまで非難がおよびました。ある時期、徴税請負人という、税金をとりたてる仕事をしていたからです。どんなに貧しく困っている人からも、むりやり集金していくので、たいへん憎まれた職業でした。ラボアジエは、革命の嵐にまきこまれ、51歳の年に断頭台で処刑されてしまいました。

学者をはじめとしておおくの人が、ラボアジエの死を悔やみました。フランス国民は、とり返しのつかないことに気が付き、罪人の名をとり消して、ねんごろに葬儀を営んだそうです。


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