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(7)

ジェファソン(1743−1826)

「人間には生まれたときから、自由と平等を求める権利が与えられ、国は、それを守る権利が与えられ、国は、それぞれを守る義務がある」

この歴史に残るアメリカ独立宣言を書いたトマス・ジェファソンは、1743年、イギリスの植民地だったバージニアで生まれました。父は、農場をいとなむかたわら、バージニア議員もつとめた、教養の高い人でした。

ジェファソンは、開拓者たちの自由な心を受けついで育ち、早くからギリシア語やラテン語を学んで、16歳で大学へ進み政治、法律、哲学、自然科学などを幅広く学びました。

大学を終えると弁護士の仕事を始めました。しかし、年がたつにつれて、すべての人が幸福になるための政治について考えるようになり、26歳で、植民地議会の議員になりました。

このころ、北アメリカ大陸のイギリス植民地では、高い税金や商品をおしつけようとするイギリス本国への不満がつのり、植民地の独立を叫ぶ声が強まっていました。

1775年、ついに植民地の人びとは立ちあがり、イギリス本国との間でアメリカ独立戦争を始めました。そして、つぎの年は13植民地の代表が集まって会議を開き、アメリカの独立を宣言しました。ジェファソンは、このときバージニアの代表として会議に加わり、政治に対する考えの深さがみこまれて、人間の自由と平等をたたえる独立宣言文を書いたのです。

アメリカの独立は、1783年に達成しました。ジェファソンは、初代大統領ワシントンのもとで国務長官を、第2代大統領ジョン・アダムスのもとでは副大統領をつとめたのち、1800年に、アメリカ合衆国第3代大統領になりました。

「人間の自由と平等のために戦った独立戦争の精神を、いつまでも忘れてはならない」

大統領ジェファソンは、国の政治はおおくの人たちの考えで決めるという、共和制をたいせつにしながら、民主主義の基礎を固める政治を進めました。また、1803年には、フランスのナポレオン1世から、北アメリカ中央部の広大なルイジアナ全土を買い求め、合衆国の国の広さを、それまでの2倍にしたばかりか、西部への発展のきっかけをつくりました。

「国の政治を同じ人間が長く受けもってはいけない」というワシントンの考えに習って、大統領は2期で、自分からしりぞきました。そして66歳で故郷へ帰ったジェファソンは、バージニア大学を建てて教育に力をつくしたのち、83歳で亡くなりました。アメリカ民主主義の父として、いまもたたえられています。


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