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(7)

ゴヤ(1746−1828)

画家ゴヤは、だれもが見すごしてしまうような、日常のできごとから、おおくの矛盾や狂気を発見しました。ゴヤのかいた絵は、いつでも社会の動きや、人間の生き方をきびしくとらえています。

フランシスコ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは、1746年スペインのの田舎、フェンデトドス村に生まれました。住む人もあまりいない、貧しい地方でした。幼いゴヤが、そこでどのような生活をしていたのか、くわしくはわかっていません。しかし、ゴヤは、絵の好きな少年でした。本格的に美術の世界へ入ったきっかけは、壁のいたずらがきを通行人に認められたからだと言われています。

10歳ころゴヤは、大都市マドリードへ出て、絵の修行を始めました。まだ自分の知らない知識や技術を、はげしく追い求め、吸収しました。そのご、イタリアにも留学して、絵のコンクールでは、2等賞をとるほどのめざましい活躍ぶりでした。

ゴヤは、才能ある画家として評判になりました。再びマドリードへ戻り、今度は王立つづれ織工場で、壁かざりの絵をかくことになりました。それまでの壁かざりには、たいてい神話や英雄物語の絵がかかれていました。しかしゴヤは、そうした慣例を無視して、力強い線と生き生きした色で、その時代の身近な人たちのすがたを描きました。

ゴヤは出世しました。1779年にはスペイン王に面会できる身分となり、やがてカルロス4世の宮廷画家に任命されました。

しかし、良いことばかりではありませんでした。1792年、ゴヤは旅行中、とつぜん原因不明の病気にかかってしまいました。高い熱が出て、からだが動かなくなり、耳も聞こえなくなってしまいました。やがて、病気はなおりましたが、耳だけは死ぬまで聞こえるようにはなりませんでした。

40代半ばにして、まったく音を失ってしまったゴヤは、そのことによってくじけるどころか、ますます、するどい見かたで画面に立ちむかいました。

そして『カルロス4世の家族』『裸のマハ』などの傑作を生み、人間のおろかさや心理を大たんに描きあげました。

晩年は、ひとり別荘にこもり、内臓をさらけ出したようなすさまじさと、なげきと悲しみにみちた作品ばかりを描きつづけました。

のちの美術界に大きな影響を与えたゴヤの絵は、いまもなおたたえられ、研究されつづけています。


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