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(8)

マリー・アントアネット(1755ー1793)

マリー・アントアネットは、フランス革命のさなかに、断頭台で38歳の短い生涯を終えた、悲劇の王妃です。

1775年にオーストリアの女王の娘として生まれたアントアネットは、14歳で、フランスのルイ王子と結婚しました。愛情でむすばれたのではありません。フランスとオーストリアが手をむすぶために、ぎせいにされたのです。

4年ののち、王子は国王ルイ16世となり、アントアネットは王妃になりました。王を愛することができないアントアネットは、黄金のベルサイユの宮殿で、ぜいたくでわがままな生活だけを楽しむようになってしまいました。

ところが、1789年10月、アントアネットのはなやかな生活は、とつぜんうちこわされてしまいました。

「国の政治を、王のかってにさせるな。貧しい人びとを虫けらのようにあつかう貴族をたおせ、われわれにパンをよこせ」

人間の自由と平等をさけんで立ちあがった人びとが、ベルサイユ宮殿へおしかけました。フランス革命がはげしさを増し、貴族とむすびついていたルイ16世とアントアネットは、民衆の手でパリに移されてしまったのです。

いつも市民に見はられている生活は息苦しくてしかたがありません。それに、もういちどぜいたくな生活をとりもどしたいアントアネットは、兄のオーストリア皇帝にたすけてもらうことを考え、ある夜、王といっしょに、召使いにすがたをかえて宮殿から逃げだしました。しかし、すぐに見つかり、こんどは罪人のようにして、パリへつれもどされました。

オーストリアは王妃を救い出そうと、軍隊をむけてきました。

「みんな戦え、祖国フランスを守るのだ」

人びとは『ラ・マルセイエーズ』をうたってふるいたちました。ところが、このとき国民が、まず初めにいのちをうばったのは、オーストリアとこっそり手をむすんでいた王でした。

1793年1月、ルイ16世は、市民のまえでギロチン(断頭台)にかけられました。そして、それから10か月ののちにアントアネットも、新しく権力をにぎった政治家たちに、死刑にされてしまいました。ナポレオンが軍隊の力で争いをおさえ、1799年にフランス革命を終わらせるよりも、6年もまえのことでした。

アントアネットは、王妃でありながら、自分のことしか考えない、心のせまい人間でした。しかし、歴史の流れにふみつぶされたかわいそうな王妃として、フランス革命とともに、いつまでも語りつがれるにちがいありません。


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