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(8)

フレーベル(1782ー1852)

ドイツの教育家フリードリヒ・フレーベルは、生涯を子どもの教育につくし、世界で初めて幼稚園をつくりました。

チューリンゲン地方の牧師の家に生まれたフレーベルは、満1歳にならないうちに母を亡くし、愛にうえた、さびしい少年時代をすごしました。のちに教育家となったフレーベルは「子どもの教育には、母の愛がなによりたいせつである。母と子を切りはなすことはできない」といっています。

フレーベルは、1800年にイエナ大学へはいりましたが、お金がつづかず、とちゅうでやめなければなりませんでした。そのころ、教育の改革をとなえるペスタロッチというスイスの教育学者が、かつやくしていました。フレーベルは、ペスタロッチの「子どもに知識をつめこむのではなく、生まれつきもっている芽を、愛の力でのばす」という考えかたに心をうたれ、教育にうちこむ決意をかためました。1805年、フレーベルはフランクフルト・アム・マインにいって、ペスタロッチの弟子グリーナが校長をしている小学校で、教師とはどのような仕事なのか学びました。1816年からは、いよいよ自分の学園をひらき、学んだ教育論を実行にうつしました。

子どもには、いろいろな才能がかくされている、とフレーベルは考えました。教師や親は子どもの才能をのばし、創造の心を正しくみちびかなくてはならない、というのがフレーベルの理論です。この理論と、じっさいに学園でおこなっていることを『人間の教育』という本にまとめました。この本は、のちの学者たちに大へんえいきょうをあたえましたが、そのころの政府や教会の考えかたには合わないものでした。そして、フレーベルは、ひどいこうげきをうけました。

迫害をうけても、フレーベルは、教育にたいする情熱をもやしつづけました。1840年には、チューリンゲンにキンダー・ガルテンを建てました。世界で初めての幼稚園です。フレーベルはドイツじゅうを歩いて、幼稚園をつくる運動に力をそそぎました。幼稚園の先生を養成する講習会をひらき、教育者のための研究所も建てました。みずから、つみ木やまりなどの遊び道具を考えだし、子どもの創造心をひきだす道具にしました。

フレーベルの幼稚園は、1851年に政府から禁止されてしまいます。フレーベルは、そのよく年の1852年に亡くなりました。のちにフレーベルの考えはおおくの教育者たちによってうけつがれ、人びとも子どもの教育のたいせつさをみとめるようになりました。そして、世界じゅうに幼稚園がつくられました。


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