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(8)

モース(1791ー1872)

モースは、電信機を発明したことで、世界じゅうにしられています。しかし、もともとは画家でした。

牧師の子としてアメリカに生まれたモースは、イエール大学を卒業して、おさないころからの夢だった画家になるため、2度もヨーロッパへ行きました。すぐれた先生の指導をうけて、才能をみがき、数年ごには、名のある肖像画家となりました。長い修業のすえ目的をとげて、モースはアメリカへ帰ることにしました。

帰国の船の中で、モースは、自分の人生をかえるできごとにであいました。長い船旅のたいくつしのぎにと、一人の学者が、電気の実験を始めたのです。ほかの客と同じようにモースも見物していましたが、電磁石の実験にうつった時に、ふと1つの考えがうかびました。この電磁石を利用して、はなれた場所へ信号を送ることができたら、ずいぶん便利だろうと思いついたのです。そのころは、まだ電話などなかった時代なので、遠くからの連絡は、手紙にたよるほかはなく、だれもが不便を感じていました。アメリカとイギリスでは、手紙が届くまで1か月もかかるありさまです。モースはイギリスで絵の勉強をしていた時のことを思いだしました。アメリカから妻が死んだというしらせがありました。でも、モースに伝わったのは、とっくに葬式もすんで1週間もすぎてからのことでした。モースは悲しみにくれました。その時のことを思うと、どうしても電信機を製作したい気持ちにかられます。船室にとじこもって、スケッチブックに数字や図をはみでるくらいに書きこみ、一日じゅう、電信機の開発に、かかりきりになりました。鉄のぼうにまいた針金へ電流を流せば、磁石になって、くぎをすいつける。電流を切ると、はなれてしまう。この原理を応用すれば、信号になるし、アルファベットだって遠くに送れるはずだ、とモースは喜びました。船をおりる時のモースの顔は、電信機を成功させる自信で、晴ればれとかがやいていました。

アメリカに帰ったモースは、電信機をいくつも作りましたが、実用にたえる機械は、なかなか完成しません。モースは、財産をすべてつぎこみ、貧しさと闘いながら、ねばり強い努力をかさね、1838年に、ほぼ役に立つ電信機ができあがりました。ところが、そんなものはおもちゃだ、という人がおおくて、世に認められるまで、さらに6年もかかりました。でもいったん便利さが認められた電信機は、改良を重ねながら、いま人びとの生活にかかせないものとして、世界じゅうに普及しています。


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