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(9)

バルザック(1799-1850)

「ナポレオンは、ヨーロッパを剣でひとつにしようとした。わたしは、ペンで、同じことをやってみせる」

このように語っていたというバルザックは、いつも、ま夜中から仕事を始めました。パリの人びとが寝しずまったころ、ベッドからぬけだして机に向かいます。ペンが原稿用紙の上をすべりだすと、もう、とまりません。手がつかれ、目がかすんでくると、毎日、何10杯でもコーヒーを飲みながら、10数時間でも1日じゅうでも書きつづけました。

『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『従妹ベット』など91編の小説を、30歳のころからおよそ20年のあいだに書きあげ、それをひとつにして題をつけたのが、有名な『人間喜劇』です。小説の舞台はヨーロッパじゅうにおよび、作品の登場人物は2472人にのぼっています。バルザックは、自分のペンひとつで、フランスを中心にしたヨーロッパ社会をえがきだそうとしたのです。小説のほかに戯曲や評論も書きつづけ、そのすさまじい仕事ぶりは、神わざというよりほかはありません。

これほどまでに仕事にむちゅうになったのは、借金に追われていたからだ、ともいわれています。

オノレ・ド・バルザックは、フランスのツール市に生まれ、役人をしていた父の転任で、15歳のとき、パリへ移り住みました。そして、両親のすすめで、大学では法律を学びました。

しかし、自分の才能は文学に適していることを信じてきたバルザックは、両親を説きふせて町はずれの屋根裏部屋に閉じこもり、小説を書き始めました。ところが、5年の歳月が流れても、小説家への道は開けませんでした。

生活に困りはてたバルザックは、ひと財産つくりあげることを夢見て、印刷業を始めました。でも、大失敗に終わり、2、3年ごに手もとに残ったのは、ばく大な借金だけでした。

バルザックは、こんどこそと、命がけでペンをとりなおしました。そして、ついに歴史小説『みみずく党』がみとめられ、ま夜中に起きだし、コーヒーをあおって『人間喜劇』にいどむようになったのです。

借金に追われたからだとしても、バルザックの残した『人間喜劇』は偉大です。人間社会をありのままにえがく写実主義に、小説家のたくましい創造力を加えて、近代文学のきそをきずきあげました。1850年、バルザックはコーヒーで命をちぢめて51歳で世を去りました。「ビアンションをよべ」。死にぎわに叫んだ人の名は、自分が書いた小説のなかの医者でした。


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