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(9)

デュマ父子(父 1802−1870)(子 1824−1895)

固い友情でむすばれた青年と3人の剣士が活やくする、痛快な歴史物語『三銃士』。無実の罪でとらえられた男が、やがて牢獄をぬけだして、次つぎに復しゅうしていく冒険物語『モンテ・クリスト伯』。この2つの名作を書き残したのは、父親のデュマです。そして、その息子も『椿姫』という、かわいそうな女の悲しい恋の物語を書いて名をあげました。やはり、デュマという名前です。

ふたりのアレクサンドル・デュマという名前は、まったく同じでした。だから、歴史のうえでは、父親を大デュマ、息子を小デュマとよんで区別しています。

1802年に、北フランスのビレール・コットレという町で生まれた大デュマは、4歳のときに軍人の父を亡くし、貧しさのため小学校へはほとんど行けませんでした。

しかし、負けん気の強い大デュマは、少しも、くじけませんでした。母や神父から文字をおそわると、さまざまな本を読みあさり、少年時代を明るくすごしました。

「いつかは、ぼくも、おもしろい劇や物語を書きたい」

大デュマの胸のなかで、作家になる夢が、しだいにふくらんでいきました。そして、20歳のとき、わずかなお金をポケットに入れるとパリへ出て、はたらきながら勉強を始めました。

7年のち、心にえがいていた夢が花開きました。歴史を劇にした『アンリ3世とその宮廷』がパリの劇場で上演され、大評判になったのです。大デュマは、いちやく有名な劇作家になり、おおくの戯曲を発表しました。また、40歳をすぎたころからは小説に力をそそぎ、68歳で生涯を終えるまでに、250編を越えるおもしろい作品を書きつづけました。

小デュマは、1824年に生まれました。大デュマの、本当の妻の子どもではありませんでした。

『椿姫』を書いたのは、まだ24歳のときでした。早くから、父といっしょに都会ではなやかな生活をしましたが、自分が私生児でしたので、町の片すみでしいたげられている女に心をひかれて、この小説を書きあげたのです。そして、それからのちも、さまざまな社会問題をするどくみつめて、苦しい世の中を生きぬく人びとをえがきつづけ、71歳で亡くなりました。

小説『椿姫』は、19世紀の半ばすぎから歌劇として上演されるようになり、いまも、世界の名歌劇のひとつに数えられています。大デュマも、小デュマも、物語の組み立てかたが天才的な小説家でした。


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