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(9)

ユゴー(1802−1885)

たったひときれのパンをぬすんだために、19年も牢獄に閉じこめられたジャン・バルジャンは、社会へのはげしいにくしみをいだいて、牢をでてきます。ところが、慈悲ぶかい神父にさとされて心を入れかえ、社会の不幸な人びとへの愛に自分をささげて、清らかに死んでいきます。これは、フランスの小説家ビクトル・ユゴーの名作『レ・ミゼラブル』の物語です。

ユゴーは、東フランスのブザンソンに生まれ、10歳をすぎるとパリで教育を受けました。ナポレオン軍の将軍だった父は、ユゴーを軍人にすることを願っていました。しかし、ユゴーは何よりも文学を愛する少年でした。とくに、早くから詩にしたしみ、いくつかの詩のコンクールで賞を受けると、20歳のときには詩集を出版して名を高めました。

ユゴーが、自分の作品をとおして最も強く社会へうったえようとしたのは、人間の自由でした。そのため、詩集につづいて発表した戯曲には、考え方の古い役人から上演禁止を命じられたものもありました。しかし、ユゴーは屈しませんでした。

戯曲『エルニナ』では、人間が自分の理想に向かって生きることのすばらしさをたたえました。小説『死刑囚最後の日』では、人間の命の尊さを語り、死刑反対をとなえました。また、歴史小説『ノートル・ダム・ド・パリ』では、むすばれない恋をえがきながら、欲望にとらわれた人間の罪をいましめました。

ユゴーは、30歳のころからおよそ10年のあいだ、人間への愛にもえた詩、戯曲、小説を書きつづけました。ところが、40歳をすぎてからの10年は、娘に死なれた悲しさと、上院議員にえらばれて政治にかかわるようになった忙しさから、ほとんど筆をとりませんでした。

1851年には、イギリス海峡の小さな島へ渡りました。民衆を愛するあまりに革命運動をおこそうとして、独裁政治をめざすナポレオン3世に追われ亡命したのです。

「ナポレオン3世には、かならず天罰がくだる」

ユゴーは、1869年までの18年ものあいだ孤島に身をおき、ナポレオンをのろいながら、詩と小説に怒りをぶっつけました。人間のゆがめられた運命へのいきどおりをこめた『レ・ミゼラブル』が生まれたのは、このときです。

ナポレオン3世がたおれ、1870年にパリへもどったユゴーは、人間の自由を叫びつづけた英雄として、人びとから尊敬されました。そして、さらにおおくの小説や詩を残して83歳の生涯を終えると、国葬によって、その偉業がたたえられました。


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