オンラインブック せかい伝記図書館 巻末小伝
(9)

ガリバルディ(1807−1882)

19世紀中ごろまでのイタリアは、国がいくつにも分かれ、そのうえおおくの領土が、フランスやオーストリアなどに支配されていました。ジュゼッペ・ガリバルディは、このような時代にニースに生まれ、イタリア統一のために戦った英雄です。

船乗りだったガリバルディが、初めて戦いの火をかかげたのは、27歳のときでした。統一運動の指導者マッチーニが結成したイタリア青年党に加わり、イタリア北部を支配するオーストリアへ、革命の反旗をひるがえしたのです。しかし、革命は失敗に終わり、死刑を宣告されてしまいました。

ガリバルディは、南アメリカへのがれました。そして、14年のあいだ、南アメリカ各地の独立戦争や革命に義勇兵としてとびこみ、民族の自由のために戦いつづけました。

1848年、イタリア北西部のサルデニャ王国が、オーストリアからの解放をめざして立ちあがったのを知ると、ガリバルディはまっしぐらに祖国へもどり、義勇兵をひきいて戦いました。しかし、またも敗れ、ふたたびアメリカへ渡りました。でも、革命への情熱を失ったわけではありません。1854年には地中海のカプレラ島までもどり、つぎの戦いの日をまちました。

1859年、すでに52歳になっていたガリバルディは、イタリア北部へかけつけました。サルデニャ王国が、イタリア統一をめざして、またも奮い立ったのです。

「こんどこそ、祖国をひとつにするのだ」

ガリバルディは、王国軍の指揮官となって、オーストリア軍を打ち破りました。また、南へ下ると、赤シャツ隊とよばれた1000人の義勇兵をひきいて戦い、たちまちのうちに征服したシチリア島とナポリ王国を、サルデニャの王にささげました。

1861年、イタリア王国が生まれ、ガリバルディは、夢を果たしたよろこびを胸にしまって、カプレラ島へひきあげました。自分のてがらに対する栄誉は、何も求めませんでした。

ガリバルディは、そのご、こんどはローマへ兵を進めました。イタリア王国が生まれてからも、ローマは、まだフランス軍に支配されていたからです。ところが、思いがけないことに、フランスとの戦いをおそれる味方のイタリア軍に捕えられて、カプレラ島へひきもどされてしまいました。

60歳をすぎたガリバルディは、テベレ川の治水工事などにも力をつくし、67歳のときにはイタリア議会にもまねかれました。

75歳で幕を閉じたガリバルディの生涯は、まさに英雄の名にふさわしく、はげしく、美しく、勇ましいものでした。


もどる
すすむ