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(10)

ブロンテ姉妹 シャーロット(1816-1855)
 エミリー(1818-1848)
 アン(1820-1849)

孤児として暗い環境に育った家庭教師ジェーンの半生を語りながら、おさえつけられた女性の、愛と自立と自由への訴えをえがいた『ジェーン・エア』。

風のふきすさぶ荒野を舞台に、2つの家の、3代にわたるのろわれた恋とふくしゅうをえがいた、悲劇『嵐が丘』。

『ジェーン・エア』の作者、シャーロット・ブロンテと、その妹で『嵐が丘』の作者エミリー・ブロンテは、1816年と1818年にイギリスのヨークシャーで生まれました。父は牧師でした。

兄弟は6人でした。しかし上のふたりは10歳をすぎると短い生涯をとじてしまい、残された4人の兄弟は、伯母に育てられました。荒れはてた土地と、さびしい家での生活には楽しいことは少なく、兄弟は、毎日、本を読み、本にあきると夢や空想を語りあい、その夢や空想を詩や物語に書いてすごしました。

シャーロットもエミリーも、いちばん下の妹のアンも、20歳のころから、学校の先生や家庭教師になりました。そして、やがては、自分たちで小さな学校を開く計画をたてました。でも、この計画は、たったひとりの男の兄弟ブランウェルが、酒と麻薬でふつうの生活ができなくなってしまったことや、生徒が集まらなかったことで、実現しませんでした。

3人の姉妹は、4年ごとの誕生日に、それぞれ書いたものを出しあう約束をして、詩や小説を書き始めました。ところが詩集は、わずか数冊しか売れませんでした。

3人は、けっしてがっかりしてしまうことはなく、こんどは小説にとりかかりました。

それから1年、シャーロットは『ジェーン・エア』を、エミリーは『嵐が丘』を、アンは『アグネス・グレー』を出版しました。国じゅうの人びとは、3人の姉妹がそろって本を出したことに、おどろきました。しかしなかにはシャーロットが妹たちの小説も書いたのだろう、と疑う人もありました。

姉妹は、またたくまに有名になりました。でも、兄弟がよろこびあえたのは、たった1年。本を出版した翌年にはブランウェルとエミリーが病死しました。そしてアンもまたつぎの年に、シャーロットも6年ごに、39歳の若さでこの世を去ってしまいました。

姉妹の一生は、けっして幸福とはいえませんでしたが、それにも屈せず、永遠の名作を残したのです。


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