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ドストエフスキー(1821-1881)

1849年12月、ロシア北西部にあるペテルブルグの監獄で、革命をくわだてたという罪で死刑を宣告された20人あまりの男が、いまにも銃殺されようとしていました。いよいよ銃が火をふこうとしたその瞬間に、皇帝のゆるしがでました。男たちは命をとりとめ、そのかわりに長い懲役と軍への入隊を言いわたされて、雪と氷のシベリアへ送られて行きました。

この男たちのなかに、28歳のドストエフスキーもいました。

ドストエフスキーは、1821年に、モスクワで生まれました。父は貴族の肩書きをもつ医師でしたが、家の暮らしは、豊かではありませんでした。

父のすすめで、16歳のときに陸軍工兵士官学校に入学しました。しかし、子どものころから文学がすきだったドストエフスキーは学校に入ってからも詩や小説を読みつづけ、そのため、2年から3年になるときには落第してしまいました。

23歳のときに作家になろうと思って軍をしりぞき、つぎの年『貧しき人びと』を書きました。この作品はかなりの評判を得ましたが、やがて、すべての人をしあわせにしようという空想的社会主義にひかれるようになり、そのグループに加わったことがとがめられて銃殺されそうになったのです。そのご、4年の牢獄生活と5年の兵役を終えたときは、すでに38歳になっていました。

自由をうばわれ、聖書のみを読みつづけた牢獄生活は、ドストエフスキーに、人間とは何か、自由とは何か、罪とは何か、神とは何かを深く考えさせました。そして、社会の革命を考えるよりも、人間の心を見つめるようになり、獄中の苦しみをつづった『死の家の記録』を発表しました。つづいて『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などの名作を次つぎに書きあげていきました。

法律の罪をみとめず金貸しの老婆を殺した大学生が、しだいに罪の意識におびえるようになり、やがて、心の美しい少女の愛によって自首するまでの苦しみをえがいた『罪と罰』。

てんかんの持病をもちながら、人をにくむことを知らない純粋な男が、いつのまにか、よごれた社会にまきこまれて死んでいく、人間の悲劇をえがいた『白痴』。

父親殺しをめぐる3人の兄弟のにくしみと愛をとおして人間の精神をさぐり、最後の長編となった『カラマーゾフの兄弟』。

60年の生涯でドストエフスキーが問いつづけたものは、人間の心、魂にひそむ矛盾と目に見えない神の存在でした。


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