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(11)

イプセン(1828−1906)

いまからおよそ100年ほどまえ、世界じゅうに新しい演劇運動が起こりました。それまでの劇が歴史や伝説を中心にしたものであったのをやめて、いま生きている人間の苦しみやよろこびを物語にした劇を盛んにしていこう、という運動でした。その運動の大きなきっかけをつくり、近代劇の父とよばれているのが、ヘンリク・イプセンです。

イプセンは、1828年に、ノルウェー南部のシーエンという小さな町で生まれました。父は商人でした。ところが、イプセンが7歳のときに父が商売に失敗したため、家族は、ちりぢりになってしまいました。

イプセンは、学校教育もあまりうけないまま大きくなり、15歳のときに、薬局に住みこみではたらきにだされました。そして自分で勉強をしながら医科大学をめざしましたが、試験に落第してしまいました。

「人間は、どうして自由に生きられないのだろうか」

しだいに、イプセンは人間の自由をしばりつける社会に不満をもつようになりました。そして、20歳をすぎたころから権力や社会と戦う人間を主人公にした劇を書き始め、やがて、『戦士の塚』が上演されると、ノルウェー国民劇場の舞台監督に招かれ、演劇人としても活やくしました。

1864年、36歳になったイプセンは、家族をつれて、ドイツへ渡りました。それからの27年間は、ほとんど外国で生活しながら劇の台本を書きました。劇で人間の自由を訴えようとする自分の考えが、ノルウェーの人びとには理解してもらえなかったため、祖国をとびだしたのです。

『ペール・ギュント』『社会の柱』『人形の家』などの劇を発表していくうちに、イプセンは、世界に知られる大文学者になりました。とくに、「妻は夫の人形ではありません。妻も男と同じ人間です」と、夫も子どもも捨てて家をでて行く目ざめた女を描いた『人形の家』は、世界の人びとをおどろかせました。そのころの古い社会では、妻が、自由を求めて家を捨てるというようなことは、とても考えられないことだったからです。イプセンを非難する人も少なくありませんでした。

しかしイプセンは、その後も『幽霊』『民衆の敵』『野鴨』などの社会問題をとりあげた戯作をつづけ、78歳で、信念をつらぬきとおした生涯をとじました。

『人形の家』の主人公ノラは、いまもなお婦人解放の心のささえとなって生きつづけています。


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