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(11)

セザンヌ(1839−1906)

19世紀の終わりに、印象主義とよばれた美術運動が、ヨーロッパで盛んになりました。印象派の絵というのは、目に見えたとおりに写真のようにかくのではなく、画家の心にどう感じたかということを、自分自身の感じたままに表現したものです。

1839年に南フランスの小さな町で生まれたポール・セザンヌは、この印象派の技術を身につけ、ゴッホやゴーガンとともに後期印象派の天才といわれています。

しかし、セザンヌに天才ということばが与えられたのは、ようやく晩年になってからのことです。67歳のとき、絵をかきながらたおれてしまうまでの生涯は、決して楽しいものではありませんでした。

父は銀行を経営するほどの金持ちでした。めぐまれた家に生まれたセザンヌは、小学生のころから絵がすきでした。また中学校では、のちに大文学者となったエミール・ゾラとしたしくなり、文学にも夢中になりました。

しかし、セザンヌは、父の希望で法律の大学にすすまなくてはなりませんでした。でも、画家になりたい気持ちがしだいに強くなり、ゾラにはげまされて、ついにパリにとびだしました。22歳のときです。

ところが、内気なセザンヌは、パリの芸術家たちとはしたしくなれず、ルーブル美術館に通って、絵を見学する毎日でした。そして2年ごに美術学校の入学試験をうけましたが、合格しませんでした。

セザンヌは、パリの町に小さなアトリエを見つけて、ひとりで絵をかきはじめました。その絵は、絵の具を厚くぬった、だいたんで、はげしいものでした。それから何年ものあいだ、いくども展覧会に出品しましたが。落選するばかりです。ものの構造をしっかりと見て、自分の感じたままに表現するというセザンヌの絵は、だれからも理解されなかったのです。

50歳をすぎたころから、こきょうにひきこもったセザンヌは、一日じゅう絵のことだけを考えて暮らしました。そして有名な「自然はすべて、球形、円すい形、円筒形としてとりあつかわなければならない」という結論にたっしました。

やっと画商やゴーガンやルノアールが、セザンヌの絵の新しい意味に気づきはじめ、やがて、セザンヌの名が外国にまで知られるようになりました。

『首つりの家』『散歩』『水浴』などの傑作は、現代の美術に大きな影響を与えました。


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