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(12)

デュナン(1828ー1910)

北イタリアを占領していたオーストリア軍。その北イタリアを取りもどそうとする、サルディニア軍とナポレオン3世がひきいるフランス軍との連合軍。1859年6月24日、両軍あわせて32万の兵隊が、ソルフェリノの丘で死にものぐるいの戦いをくりひろげました。そして、15時間つづいた戦いが終わったとき、丘は、およそ4万人もの死傷者でうまっていました。

ところが、銃声がやんでまもなくのことです。軍人でもないひとりの男が現れ、近くにいた婦人や子どもを集めて、死傷者の収容と看護を始めました。

「敵も味方もない。みんな同じ人間だ。みんなを助けるのだ」

男は、こう叫ぶと、すべての死傷者に、あたたかい手をさしのべました。スイスからナポレオンに会いにきて、この戦いにでくわし、あまりのむごたらしさに、いきどおりをおさえきれず、血にそまった丘にとびだしたのです。

この男は、30歳の若い実業家アンリ・デュナンでした。

「戦争で傷ついた人を、敵も味方も区別なく看護する救護隊を、ふだんからつくっておかなければだめだ」

デュナンは、スイスへもどると『ソルフェリノの思い出』という本を書き、救護隊のたいせつなことを世界に訴えました。すると、ヨーロッパの国ぐにの皇帝、大臣、文学者から、賛成の手紙が寄せられました。クリミア戦争で看護婦として活やくしたナイチンゲールからも、はげましの声がとどきました。

1863年、デュナンの叫びは実をむすびました。

「それぞれの国に救護隊をつくる。救護隊は、どこの国の傷病者でも手当てをする。救護にあたる人や病院は、つねに中立であり、そのしるしとして、赤い十字を使おう」

ヨーロッパの国ぐにの代表がジュネーブに集まって、このようなことを決めたのです。そして、つぎの年にジュネーブ条約がむすばれ、国際赤十字が誕生しました。

スイスのジュネーブに生まれ、信仰ぶかい母に育てられたデュナンは、若いときから、不幸な人や貧しい人に手をさしのべる、やさしい心をもっていました。

国際赤十字をつくってからも、自分のすべての財産を投げだして慈善事業に力をつくしました。また、人種差別に反対して黒人どれいの解放も叫びつづけ、1901年に、世界最初のノーベル平和賞を受賞しました。

白地に赤十字のしるしは、デュナンの名誉をたたえて、スイス国旗の赤地に白十字の色を逆にしたものです。


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