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(12)

カーネギー(1835ー1919)

19世紀にアメリカの鉄鋼王といわれたアンドルー・カーネギーは、1835年に、イギリス北部のスコットランドで生まれました。家は貧しく、父は、手織物の職人でした。

カーネギーが13歳になったとき、家族は、大西洋を越えてアメリカへ渡りました。人間の手のかわりに蒸気の力で動かす機械が発明されて、産業革命とよばれた時代が進み、父の手織りの仕事がなくなってしまったからです。

「少しでも、かあさんを、らくにしてあげよう」

心のやさしいカーネギーは、母を助けるために、ぼうせき工場の糸巻きやかまたき、電信会社の電報はいたつ係や電信技術者などをして、大人にまじってはたらきました。

学校へは行けませんでした。でも、図書館の本で勉強をつづけ、歴史も文学も科学も、自分の力だけで学びました。

17歳で父が亡くなると、つぎの年にはペンシルバニア鉄道会社へ入り、1861年に、黒人どれいの解放をめぐって南北戦争が起こったときには、26歳の若さで北軍の軍用鉄道と電信の総かんとく官をつとめるほどになっていました。

1865年までつづいた南北戦争で、鉄道が破かいされるのを見たカーネギーは、大きな決心をしました。

「これからは鉄道がもっとたいせつになる。それには質のよい鉄が必要だ。よし、自分で、鉄道と製鉄の会社をおこそう」

そのごのカーネギーは、鉄橋会社、機関車製作所、製鉄所などを次つぎにつくり、やがて、イギリスで新しく開発された製鋼法をとり入れて鉄鋼業一本にとりくみました。そして、さらに鉄鉱山も手に入れ、45歳をすぎたころには、アメリカの鉄鋼の半分以上を生産する力をそなえて、ついに鉄鋼王とたたえられるようになりました。

ところが、1901年、66歳のカーネギーは、すべての事業の権利を売りはらって、鉄鋼の業界からしりぞきました。大きな競争相手が現われ、経営がむずかしくなったからです。

「鉄でもうけたお金で、社会事業に力をつくそう」

カーネギーは鉄鋼王から社会事業家へ身をかえ、もういちど大きな人生を歩み始めました。公共図書館や大学の建設、教育や科学の発展を推進するための財団の設立、国際平和運動を進めるための援助、ニューヨークの音楽会場カーネギー・ホールの完成など、その社会事業は数えきれません。

金持ちは富を世のために使う義務があると考え、それを実行したカーネギーは、鉄鋼王である以上に偉大な人間でした。


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