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(12)

ルノアール(1841ー1919)

「目に見えた物を、ただ正確に美しく描くのではなく、見た瞬間に感じたことや印象に残ったことを、絵にしていこう。また、暗いアトリエから外にでて、明るい太陽の下で、きらめく色彩と光線をたいせつにして絵をかこう」

19世紀の半ばすぎから20世紀のはじめに、このような考えで、絵をかくことが盛んになりました。印象派とよばれる絵です。

1841年にフランス中部のリモージュで生まれたピエール・オーギュスト・ルノアールは、この印象派で世にでた画家です。

小学生のころ、授業中に絵ばかりかいて先生をおこらせたルノアールは、家が貧しかったため、13歳のときから陶器工場で皿に絵をかいてはたらくようになりました。そして4年ののちには、扇子に絵をかく仕事にかわり、家の暮らしを助けながら、少しずつ絵の勉強をつづけました。

ルノアールの画家への道は、このようにして自然に開け、22歳のときには、はやくも展覧会に入選しました。

「形式にとらわれず、自由な色で自由な絵をかこう」

やがて、モネやシスレーとともに印象派の絵をかくようになり、33歳のときからほとんど毎年のように印象派展を開いて、大成功をおさめました。ルノアールは、この印象派展に、街で楽しそうにあそぶ人びとを描いた『ムーラン・ド・ラ・ガレット』などの傑作を、数おおく出品しました。

しかし、皿や扇子に絵をかいていたころから、絵は自分の感ずるままに楽しんでかくのだ、と信じてきたルノアールは、40歳をすぎると印象派の人びととはなれ、自分だけの絵をかきつづけるようになりました。

そののち、とくにおおく描いたのは、あどけない少女や、自然のままの女のすがたでした。なかでも、ありのままの女は、豊かな色で、やわらかく、あたたかく描くことを、どこまでも追究して『泉のほとりの女』『髪をゆう娘』などの名画をたくさん残しました。

59歳のとき、すばらしい芸術がみとめられて、国から、フランス最高のレジオン・ドヌール勲章がおくられました。ところが、このころから、関節がいたみ始め、リューマチに苦しめられるようになりました。

しかし、ルノアールは、絵をかくことをやめませんでした。車いすを使い、開かない手に絵筆をしばりつけて制作にはげみ、78歳で世を去るまで、絵をかき、楽しむことを忘れませんでした。そして生涯に、3000点以上の絵をかいたということです。


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