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(12)

レントゲン(1845ー1923)

エックス線を発見して1901年にノーベル物理学賞を受賞したウィルヘルム・レントゲンは、ドイツ西部のレンネップという町で生まれました。父は、織物工場をいとなんでいました。

少年時代は、とびぬけた秀才でもなく、平凡な子どもでした。14歳で、となりの国オランダの高等学校へ進みました。ところが、いたずらをして先生を怒らせた友だちの罪をきせられて、卒業まぎわに退学させられてしまいました。

「大学で勉強したかったのに、どうしよう」

高等学校を卒業していないと、ドイツやオランダの大学は受験できません。しかたなくレントゲンは、スイスまで行って、実力があれば入学がゆるされるチューリヒ工科大学へ進みました。そして、卒業ごは、そのまま大学に残って有名な物理学者クント教授の助手になりました。

高等学校を卒業していないのが障害になって、大学教授への道は、なかなか開けませんでした。しかし、物理学に生きることを心に決めたレントゲンは、くじけずに研究にうちこみ、43歳のとき、やっとビュルツブルク大学の教授にむかえられ、5年ごには大学総長にえらばれました。

総長になっても、朝から夜おそくまで研究をつづけました。とくに、目に見えない光線の研究に力を入れました。

50歳になった、ある日のことです。ガラス管の中で真空放電の実験をくり返しているとき、ガラス管と机の上の蛍光板との間に手を入れてみたレントゲンは、あっと声をあげました。蛍光板にうつっているのは、手の骨だけです。

「あたらしい光線の発見だ」

人のからだをとおす、ふしぎな光線です。しかし、光の正体はわかりません。そこでレントゲンは、答えのでていない数を数学でXと表すのを思いだして、エックス線と名づけました。

エックス線の論文を発表すると、レントゲンの名は、またたくまに世界に広まりました。でも、レントゲンは、やがてノーベル賞を受賞してからも「エックス線は人類のものです。わたしは運よく発見しただけです」と言っただけで、すこしも誇らしげな顔をしませんでした。

「わたしは、頭で考えるよりも、まず研究し、実験した」

これは、レントゲンが、自分の生涯をふり返って語った言葉です。高等学校退学で、長い間、教授になれなかった苦しみが、レントゲンを、ほんとうの物理学者にしたのかもしれません。エックス線は、医学と科学の発展に、大きな灯をともしました。


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