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(12)

ベル(1847ー1922)

1876年3月10日、自分と助手が3階と地下室にわかれ、その間に電線を引いて電話実験の準備をしていたベルは、薬品のかんをひっくり返して、思わず大きな声をだしました。

「ワトソンくん、すぐきてくれたまえ」

ベルは、助手のワトソンが自分の部屋にはいないことを、つい忘れていました。ところが、まもなくワトソンが「聞こえた、聞こえた、聞こえた」と叫びながら、3階へ、かけのぼってきました。受話器をあてていたワトソンの耳に、ベルの声がつたわってきたのです。

「ついにやった、電話機の発明に成功したんだ」

ふたりは、だきあい、とびあがってよろこびました。

アレクサンダー・グレアム・ベルは、1847年に、イギリス北部のエジンバラで生まれました。父は、口や耳が不自由な人たちの会話を研究する学者でした。

ベルも、父の仕事のえいきょうを受けて、少年時代から話すこと聞くことに興味をもち、犬にことばを教えてとくいになったこともありました。大学では、音声について学びました。そして、卒業ごはアメリカへ渡り、耳の聞こえない子や口のきけない子に、話のしかたを教えるようになりました。

仕事のかたわら、電信の研究にもとりくんでいました。そして、あるとき、電磁石を使って声を電気で送ることを思いつき、電話の研究を始めたのです。数えきれないほどの失敗をのりこえて、助手のワトソンに「聞こえた」と叫ばせたのは、研究を始めて5年めのことでした。

さて、その年にフィラデルフィア市で開かれた大博覧会でのことです。博覧会を見にきていたブラジルの皇帝が、おかしな機械の前で、気味悪そうにつぶやきました。

「これはふしぎだ、機械がものをいう」

ベルが、すこしはなれたところから、送話器に「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と有名な『ハムレット』のなかのことばをしゃべったのです。

ものをいう機械は、最高の賞をもらい、電話が発明されたというニュースは、またたくまに世界じゅうに広まりました。

そのごのベルは、ベル電話会社をつくって電話事業の発展に力をつくし、エジソンが発明した蓄音機の改良なども手がけて、75歳の生涯を閉じました。大発明家、大事業家とたたえられるようになっても、口や耳の不自由な人たちのことを忘れないあたたかい心を、死ぬまでもちつづけました。


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