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フロイト(1856-1939)

人の心には、ふだん感じたり考えたりする心の奥深くに、もうひとつ、いつも眠らされている、自分でも気がつかない心がひそんでいます。そしてそこには、常識をやぶってなにかをしたい心や、忘れてしまいたい心などがとじこめられ、それが目をさまそうとしては、人間を苦しめます。

1856年に、オーストリアのモラビア(いまのチェコ中部)で生まれたジクムント・フロイトは、世界で初めて、この人間の奥深い心を研究した精神医学者です。

フロイトが3歳のとき、家族は、ユダヤ人だったために町を追われ、ウィーンへひっ越しました。

「どんなこともしんぼうして、人に負けない人間になろう」

フロイトは高等学校をいちばんで卒業するとウィーン大学へ進み、医学や動物学や心理学などを学びました。そして卒業ごも大学に残り、教授になる夢をいだいて神経症の研究を始めました。

しかし大学教授への夢は、29歳のときやぶれてしまいました。パリに留学して学んだ「ヒステリーは男子にもある」という考えが、だれにも認められず、大学を追われてしまったのです。

フロイトは、町で小さな看板をかかげ、患者のしんさつをしながら、神経症の研究をつづけました。そして、患者の心に浮かんだことを自由に語らせ、それをてがかりにして、その人の奥深い心をひきだす方法を考えました。

「心の奥にあるなにかが、苦しみをもたらしているのだ。その正体さえみやぶれば、患者をすくえるのではないだろうか」

やがてフロイトは、夢を分析してみようと思いたちました。眠っているときに見る夢こそ、心の奥にひそんでいるもうひとつの心と、深い関係があると考えたからです。精神分析学と名づけられたこの研究は、しだいに実を結びはじめました。

「フロイトのいいつづけたことは、でたらめではなかったのだ」

フロイトは、50歳をすぎてようやく世界の注目をあびるようになりました。「人間の心」の画期的な研究は、文学者や芸術家や哲学者の心さえもゆさぶりました。

しかし、やっと栄光につつまれたフロイトに、のろわしい運命が待っていました。がんにおかされたのです。そのうえ、ユダヤ人にむけられたナチス・ドイツのぎゃくたいのため、住みなれたウィーンを逃げださなければなりませんでした。

ロンドンで83歳の生涯をとじた時、心の探検者フロイトのまくらもとには、書きかけの精神分析の原稿が残されていました。


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