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(13)

チオルコフスキー(1857-1935)

宇宙ロケットの研究を、いまからおよそ100年ほど前に世界で最初に始めたのが、ロシアの物理学者コンスタンチン・エドアルドビッチ・チオルコフスキーです。

1857年にモスクワ近くの小さな村で生まれたチオルコフスキーは、9歳のとき、しょうこう熱という病気にかかって耳が聞こえなくなってしまいました。

学校へも行けず、友だちとあそぶこともできませんでした。少年のチオルコフスキーには、音のない暗い毎日がつづきました。しかし、そんなさびしさを、父の持っていた科学や数学の本がすくってくれました。やがて風の力で走る帆車や、きょりを測る天測儀などを作り、村で評判の科学少年になりました。

チオルコフスキーは、16歳のときモスクワへ勉強に行き、毎日図書館にかよっては、ひとりで勉強にはげみました。やがて、ふるさとに帰り、先生の資格をとって、村の中学校の数学教師になりました。

「人類が宇宙を飛びまわる日が、かならずやってくる」

飛行機が発明される20数年もまえでしたが、教師となったチオルコフスキーは、すでに宇宙への夢をいだいていました。

1903年、アメリカのライト兄弟が木と布の飛行機で初めて空を飛ぶのに成功しました。しかしもっとすすんだ飛行機を研究していたチオルコフスキーの心は、少しもさわぎませんでした。

「飛行機は、重くても金属でなければだめだ。機体は流線型にして、つばさは2枚や3枚よりも1枚のほうがよい」

チオルコフスキーは、ただ空に浮かぶというだけではない飛行機の未来のすがたを、考えていたのです。

飛行機ばかりではありません。ライト兄弟の成功より10年もまえから『月の上で』『地球と宇宙にかんする幻想』などの空想科学小説や、『ロケットによる宇宙空間の研究』などの論文を書いて、ロケットや人工衛星のことまで考えていました。さらに、人間が月の上に立つことさえみとおしていたのです。

1917年にロシア革命が起こってソビエト政府ができると、チオルコフスキーは科学アカデミー会員にえらばれ、宇宙に飛びだすための多段式ロケットの研究をつづけました。そして1935年、宇宙への夢を、自分の育てた研究者たちにたくして、78歳で亡くなりました。

1959年に月の裏がわの写真さつえいに成功したソ連では、その噴火口のひとつを「チオルコフスキー噴火口」と名づけて、この偉大な宇宙科学者をたたえました。


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