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(14)

ナンセン(1861−1930)

1893年6月、ノルウェーのクリスチアニア(いまのオスロ)港から、フラム号という1せきの船が、北極へ出発しました。乗りこんでいるのは、31歳のナンセンと12名の探検隊です。

おわんを細長くしたような、きみょうな形のフラム号は、流氷にぶつかってもこわれないように造られています。シベリアの沖から北極を通ってグリーンランドへ流れる海流に乗り、流氷といっしょに北極へ向かい始めました。

ところが、おそろしいほど厚い流氷にかこまれてしまった船は、1年たっても、ほんのわずかしか進みませんでした。

「このままだと、北極へたどり着くのはむりかもしれない」

ナンセンはフラム号に別れをつげ、隊員のヨハンセンとふたりだけで、からだのしんまで凍りつくような寒さと闘いながら、氷原を犬ぞりで走りました。しかし、20日もすると、人間も犬も、すっかりつかれはててしまいました。

ナンセンは、北緯86度14分の地点に国旗を立てて、ひき返すことにしました。白クマにおそわれたり、食べ物がなくなったり、おおくの苦しみをのりこえてノルウェーにもどったのは、クリスチニアの港を出てから3年2か月ののちでした。

この探検で、北極点への夢は果たせませんでしたが、北極奥地の未知のすがたを、初めて世界に知らせました。

1861年、ノルウェーに生まれたフリチョフ・ナンセンは、少年時代から、スキーで野や山をすべり歩くのがすきでした。

大学では動物学を学び、卒業ごは、北極海へアザラシの調査に行きました。そして、しだいに雪と氷の世界に心をひかれるようになり、26歳のときに成功した世界最大の島グリーンランドの横断につづいて、フラム号で北極にいどんだのです。

フラム号をおりてからは、国際海洋研究所の所長をつとめ、北の海の調査や研究に、大きな業績を残しました。

40歳をすぎてからは、人類全体の幸福を願う人道主義にもえて、政治の世界でも活やくするようになりました。1914年に始まった第1次世界大戦では、戦争のひさんさを知りました。

戦争が終わると国際連盟の結成に力をつくし、その夢を1920年に果たしてからは、シベリアに送られている数10万人の捕りょと、ききんで苦しんでいるロシアの難民の救済に、全力をそそぎました。人類愛に根ざしたはたらきがたたえられ、1922年にノーベル平和賞がおくられたとき、ナンセンは61歳でした。

フラム号のフラムは、前進という意味です。ナンセンは、その船の名のとおり、勇気と愛で前進をつづけた人でした。


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