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(14)

クーベルタン(1863−1937)

古代ギリシアのオリンピアで、およそ1000年にわたって行なわれた古代オリンピックは、393年の293回を最後にすがたを消してしまいました。それから約1500年ののち、このスポーツの祭典にふたたび火をともしたのがクーベルタンです。

1863年、フランスの貴族の家に生まれたピエール・ド・クーベルタンは、小学校を卒業すると、軍人になるために陸軍幼年学校へすすみました。しかし、戦いで勝っても、ほんとうの平和は生まれないとさとり、15歳のときに退学してしまいました。

「強い心の人間を育てるためには、学校の教育がたいせつだ」

教育者になる道を選んだクーベルタンは、イギリスに留学して、スポーツをたいせつにしている教育に心をひかれました。

「教育に、もっとスポーツをとりいれよう!」

フランスへとんで帰ったクーベルタンは、さっそく、学校の体育を盛んにする活動を始めました。

すばらしいニュースを耳にしたのは、このころでした。

ギリシアのオリンピアの遺跡が発掘されたというのです。

「そうだ、オリンピックを復興させればよいではないか」

クーベルタンは、まずアメリカやイギリスへ行き、自分の考えを説いてまわりました。そしてフランスへもどると「オリンピック復興についての会議」をパリで開くことに決め、世界の学者や政治家に案内状をだしました。反対したり、じゃまをしたりする人もいましたが、クーベルタンはくじけませんでした。

1894年6月23日、みごとに会議は開かれ、12か国から集まった人びと全員の賛成で、オリンピック復興が決まりました。

「スポーツで、世界が1つになる日がくるぞ」

長いあいだ夢に描いていたことが、やっと実現します。31歳のクーベルタンは、からだじゅうが熱くなるような思いでした。

第1回の近代オリンピック大会は、1896年、ギリシアのアテネで開かれました。それからは4年に1度ずつ、スポーツを愛する世界の若者が、人種をこえ、国境を越えて技をきそうようになりました。

世界の5つの大陸を結ぶ願いを表わしている5輪の旗は、クーベルタン自身が考えたものです。オリンピックの父とよばれたクーベルタンは、1937年、74歳でスポーツにささげた一生を終えました。
 
「たいせつなのは、勝つことより参加することだ」という言葉を愛したクーベルタンの心臓は、ギリシアのオリンピアの丘の上にうめられ、世界の平和を見守っています。


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