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(14)

ヘディン(1865−1952)

1895年、8頭のラクダに、食べ物、毛布、カメラ、銃、それにいちばんたいせつな水を積んで、5人の男たちが、はてしなく広がる砂漠へ足をふみ入れました。スウェーデンの探検家ヘディンを隊長として、中国の西部にあるタクラマカン砂漠を越えようというのです。見送る人びとが「自殺しに行くようなものだ」とささやきあうほど、危険な旅でした。

人もラクダも焼きこがすような太陽。高さ30メートルもある砂丘。ごうごうと、ほえたてるようにおそってくる砂あらし。どこもかしこも、見わたすかぎり砂ばかりです。20日めには、とうとう1滴の水もなくなってしまいました。

やがて、5頭のラクダがたおれ、4人のなかまも、かわきのために、もう、はうことすらできません。ヘディンだけが、ぼんやりする頭の中で、川にぶつかることを祈りながら歩きつづけました。

からだはひからび、脈拍もとぎれとぎれになり始めたとき、とつぜん、神のささやきのような音が、耳に届きました。

水です。砂漠を横ぎる川です。ヘディンは、ふるえる手で水を飲み、やっと元気をとりもどすと、長ぐつに水をみたして、たおれたなかまのもとへひき返しました。

こうして、アジアの大砂漠の横断が成功しました。世界で初めてのことでした。

1865年、スウェーデンのストックホルムで生まれたスベン・ヘディンは、少年時代から探検家になることを夢見ていました。大学で、中国を探検した教授に地理学を学んでからは、東の国ぐにへの旅に、心をうばわれてしまいました。

「なぞのおおいアジア大陸を、自分の目で確かめてみよう」

中国へ、チベットへ、モンゴルへ、ヘディンは生涯のうちに4回、命がけで足をふみ入れています。そして、砂にうずもれた楼蘭の町や、インダス川の水源や、ヒマラヤ山脈の北にあるもう1つの山脈トランスヒマラヤなどを探りあてたのです。

ヘディンの目的は、見知らぬ土地を探検する苦しみやよろこびを、心にきざむことだけではありませんでした。地理学者として、地形や気候や、そこに住む人びとの生活などを、こまかく書きとどめておくことも忘れませんでした。そうした記録は、87歳の生涯を閉じるまでに、10冊を超える探検記と数えきれないほどの調査報告として、みごとにまとめられています。

一生結婚もせず、ひたすらアジアを歩きつづけたヘディンの心には、いつも、未知への探求心の火が燃えていました。


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