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(15)

ゴーリキー(1868−1936)

マクシム・ゴーリキーは、汗を流してはたらく貧しい人びとのことを考えつづけた、ロシアの作家です。

1868年に、ボルガ川中流の、ニージニー・ノブゴロドという町で生まれました。家具職人の父を4歳のときに亡くし、さらに7年ごには母も失ったため、小学校へもろくに行かないうちに、荒あらしい社会に、ひとりほうり出されてしまいました。

ごみすて場をあさるくず屋。くつ屋のこぞう。製図工の見習い。しばい小屋の下っぱ役者。パン焼き職人。

ゴーリキーは、大人にまじって、毎日ふらふらになるまではたらきました。なれない仕事で大やけどをしたり、主人に、背中がラクダのこぶのようにはれあがるほど、棒でなぐられたりしました。環境の暗さにおしつぶされ、ピストル自殺をくわだてたことさえありました。

しかし、どんなに苦しいときでも、ゴーリキーは読書を欠かさず、勉強をおこたりませんでした。そして、人間らしい生活をもとめて社会と闘う、心の強い労働者に成長していきました。

「苦労したことは宝だ。でも、この宝を、自分ひとりでしまいこんでいるだけではだめだ」

24歳のころから、ゴーリキーは小説を書き始めました。それまでの経験をいかして、自由がどんなにたいせつかを訴えたのです。作品は、まるで聖書のように、手から手へと読みつがれ、若い作家の名とともに広がっていきました。

仕事もなく、最低の毎日をやりすごす人たちの、みじめな運命を描いた『どん底』がモスクワ芸術座で上演されたときは、いつまでも拍手が鳴りやみませんでした。

ところが、おおくの労働者から尊敬されればされるほど、ゴーリキーは国にたてつく人間として、政府の役人からにらまれるようになってしまいました。しかし何度とらえられ、ろう獄に入れられても、ときには命を守るために外国へ逃げなければならなくなっても、国の権力にはけっして屈しませんでした。

ひとりの貧しい母親が、革命にめざめていくすがたを描いた『母』や、自分の生いたちを見つめた『幼年時代』などの作品を通して、はたらく人びとがしあわせにならなければならないことを、さけびつづけました。

1917年、皇帝の支配する政府がたおれて社会主義の国が建設されると、ゴーリキーは、若い作家を指導して新しい文化をつくるために活躍し、1936年に68歳で亡くなりました。古い考えの人たちの手で、殺されてしまったものだとも伝えられています。


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