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(15)

マチス(1869−1954)

アンリ・マチスは、1869年に、北フランスに生まれました。父は、商人でした。マチスは、のちに、20世紀前半のフランスを代表する画家になりましたが、少年時代から絵がすきだったわけではありません。初めは、父にすすめられるままに法律を学び、20歳のときには法律事務所ではたらきはじめました。

絵をかくようになったのは、21歳の年からです。盲腸の手術を受けて養生しているとき、絵がすきだった母にすすめられて、ひまつぶしにスケッチブックに向かっているうちに、絵の世界からはなれられなくなってしまいました。

「芸術はすばらしい。思いきって画家になろう」

22歳のとき決心しました。母は許しましたが、父は反対でした。しかし、胸にもえはじめた火を、もう消すことはできません。マチスは、パリへ出ました。そして、3年ののち、有名な画家モローにみとめられて無試験で美術学校へ入り、モローの指導を受けるようになりました。

初めは、物をありのままにえがく写実主義の絵をかきました。ところが、モローに「絵は、自分の個性をたいせつにして自由にえがけ」と教えられ、さらに、のちの大画家ルオー、マルケらと交わるうちに、心に感じたことを大胆にえがく新印象主義へ移っていきました。

1905年、なかまといっしょに、サロン・ドートンヌに作品をだしました。赤、青、黄などの明るい原色をそのまま使った、おどろくほどあざやかな絵でした。すると、絵を見た批評家が叫びました。「まるで、野獣のような絵だ」

マチス、ルオー、マルケらの絵は,このときから野獣派(フォービスム)とよばれるようになりました。そして、そのごのマチスは『生きるよろこび』など数おおくの傑作をつぎつぎに生み、野獣派の中心になって活躍しました。

パリで一流の画家になったマチスは、48歳のときから、心のくつろぎを求めて、地中海にのぞむニースに移り住みました。そして、キャンバスに向かうだけではなく、壁画『ダンス』をえがき、詩集のさし絵やきり絵も創作しました。

70歳をすぎると病気がちになりました。でも、芸術への情熱は、まだ失いませんでした。82歳の年に、建築、壁画、ステンドグラスなどに自分の残りの全生命をうちこんで、マチスの記念碑とたたえられるバンスの礼拝堂を完成したのです。

22歳のときに胸にともした火がもえつきたのは、バンスの礼拝堂の鐘が鳴りはじめて、3年めでした。


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