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(15)

レーニン(1870−1924)

ウラジミル・イリッチ・レーニンは、はたらく人びとの社会主義の国ソビエト連邦を建設した革命家です。1870年に、ボルガ川のほとりのシンビルスクで生まれ、教師の父からはげんかくに、文学や音楽を愛する母からは、やさしく育てられました。

そのころのロシアは、皇帝や貴族たちが政治の権力をにぎり、自由をうばわれた労働者や農民たちは、いつも貧しいくらしをおしつけられていました。国民のおおくは皇帝をにくみ、レーニンも、貧しい人びとのいなくなる国を夢にえがきながら成長しました。

16歳のときに父を亡くし、つぎの年には、皇帝暗殺の計画に加わっていた兄が死刑になり、レーニンの心は大きくゆれ動きました。

「労働者を賃金であやつる資本家をたおし、すべての人間が平等に豊かにくらせる社会主義を、うちたてなければならない」

マルクス主義に心をうたれ、国の政治に反対する学生運動に参加して大学を退学させられたレーニンは、同じ考えの人たちと手を結び、はたらく人びとの社会をきずくために闘い始めました。また、闘いのかたわら、大学卒業の資格試験に合格して弁護士になり、弱い人たちの味方になって活躍しました。

しかし、権力をもたない人たちの手で国の政治を変えることは、雲をつかむよりも、たいへんなことでした。

政府や警察ににらまれて、25歳のときには14か月も監獄に入れられ、さらに2年ごには、3年間も遠いシベリアにとじこめられました。シベリアからもどってからも、いのちを守るために何度も国の外へにげださねばなりませんでした。レーニンの考えに反対する男に銃でうたれて、重傷を負ったこともありました。

レーニンは、どんなことにもくじけず、とらわれているときは本を読み、論文を書き、外国にいるときは新聞を発行して自分の考えを訴え、革命への灯を燃やしつづけました。1914年に第1次世界大戦がおこったときは、貧しい人びとを苦しめる戦争に反対して、国をくつがえす運動を広めていきました。

「レーニンばんざい。労働者ばんざい」

1917年、レーニンは人民委員会議長にえらばれて、革命はついに成功しました。そして、1922年には、ソビエト社会主義共和国連邦をつくりあげました。しかし、それからわずか2年ごに、世界の労働者に惜しまれながら永遠の眠りにつきました。ソビエト国民のために生きた、はげしい生涯でした。


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