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(16)

ラッセル(1872ー1970)

「おおくの人びとの悪いおこないに、そのまま従ってはいけません。自分が正しいと信じることを、やりとおしなさい」

12歳のバートランド・ラッセルの心に、祖母のこの言葉は深くやきつきました。

イギリス貴族の家に生まれたラッセルは、小さいときから、ものを深く考えるのが好きな少年でした。18歳でケンブリッジ大学に入学すると、哲学と数学を学びました。そして優秀な成績で卒業したのち、ドイツやフランスを訪れ、社会問題に関心をもつようになりました。

第1次世界大戦が起きると、ラッセルはまっ先に戦争に反対しました。戦争とは、人間のもっともおろかな行動であると信じていたからです。ラッセルは、講演や文章によって、自分の反戦の意見をどうどうと発表しました。そのため、教師をくびになるなどの弾圧を受けましたが、自分が正しいと信じたことは、まげませんでした。4か月間、監獄に入れられたこともありました。

ラッセルは、それでも負けてはいませんでした。次つぎに書物を出し、社会問題についてばかりではなく、哲学、数学、論理学についての研究も発表しました。1950年には、これらが認められて、ノーベル文学賞があたえられています。

やがて第2次世界大戦が始まるとラッセルは、ナチス・ドイツを全人類の敵として、ドイツ軍と戦いますが、終戦ののちには、それまで以上に、反戦運動に力をそそぎました。

とくに、日本の広島や長崎に投下された原爆に、大きなショックをうけました。

「原水爆戦争になれば、人類はほろびる。この地球上から、原水爆をなくさなければいけない。アメリカやソ連など、考え方のちがう国どうしでも、おたがいに話しあいながら仲よくする以外に、平和への道は生まれない」

1955年に、科学者アインシュタインなどとともに出した声明は、そのごの世界の原水爆禁止運動のもとになりました。

ツルのようにスマートなからだで、ワシのように鋭い目をもったラッセルは、ほぼ1世紀という長い生涯をかけて、自分の信じる道をあゆみつづけました。

イギリスが生んだ偉大な哲学者であるラッセルの仕事は、世界で認められ、日本でも「日本バートランド・ラッセル協会」ができました。そして、思想の研究や、平和と幸福を願った活動が、おこなわれています。


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