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(16)

魯迅(1881ー1936)

中国近代文学の父とたたえられている魯迅は、中国東部の浙江省で生まれました。本名は周樹人といいました。魯迅は、小説を書くようになってからの、ペンネームです。

10歳をすぎるまでの魯迅は、家が豊かなうえに、理解ある両親や祖父にかこまれ、たいへんしあわせでした。絵本を読むことと、絵本の絵を写して楽しむことがすきな少年でした。

ところが、12歳のとき、とつぜん祖父が牢獄につながれ、そのうえ、父が病気でたおれ、家族の生活は一気にどん底にたたき落とされてしまいました。質屋へお金を借りにいく魯迅を見て、それまで「坊っちゃん」とよんでうらやんでいた人たちは、あざけり笑うばかりでした。父は、3年ごに亡くなりました。

「人間の心って、なんて冷たいんだろう」

人の心のみにくさを知った魯迅は、役人にも商人にもなるのをこばみ、17歳のとき、学問の道を求めて故郷をあとにしました。母は、泣きながら、わずかなお金をにぎらせてくれました。

江蘇省の都市南京で、およそ3年、西洋の新しい学問を学んだのち、21歳の年に留学試験に合格して日本へ渡りました。そして、東京で日本語を学び、やがて医者になる夢をいだいて、仙台医学専門学校へ入りました。

しかし、2年ご、中国人がロシアのスパイとして日本軍に殺される場面をスライドで見た魯迅は、医学をすてました。

「中国人の精神をかえなければだめだ」

虫けらのように殺される中国人、それを何もできずに見ている中国人の群。この悲しみをおさえることができず、文学の力で、新しい中国人と中国を育てていくことを、ちかったのです。

28歳のときに帰国して、師範学校の先生になりました。

まもなく辛亥革命がおこって清朝がたおれ、新しい中華民国が生まれました。魯迅は胸をおどらせました。ところが1年もすると、軍の力で、またも古い中国へもどりはじめました。

魯迅は、筆をにぎって立ちあがりました。中国の古い社会をきびしくひはんした名作『狂人日記』を発表したのは、37歳のときです。数年ごには、中国人のみにくいどれい根性をえぐりだした『阿Q正伝』を書きあげ、心の弱い人びとの前につきだしました。また、政府ににらまれながら、中国の生まれ変わりをうったえる評論や論文も、次つぎに発表していきました。

中国の人びとに勇気をあたえつづけた魯迅は、1936年に、55歳の生涯を閉じました。それは、日本とのあいだで日中戦争が始まる、まえの年でした。


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