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(17)

ワクスマン(1888-1973)

ワクスマンは、ロシアのウクライナ地方の小さな町に生まれました。9歳のとき町にジフテリアがはやり、2歳の妹をあっというまに亡くしてしまいました。しかし、市から届いた血清がまにあった人は、みんな助かっています。妹を失った悲しみのなかで、ワクスマンは血清のすばらしいききめに心をうばわれました。そして、このおどろきがきっかけとなって、薬の研究をしようと心にちかいまいた。

ワクスマンはユダヤ人なので、ロシアではなにかと不自由な思いをします。そこで22歳のときアメリカに渡り、苦学しながらラトガース大学で農学を学びました。卒業後は、農業試験所で土の中の微生物の研究をつづけ、1930年には、ラトガース大学の教授になりました。

「土にすむ細菌のなかで、結核菌に強い菌がきっといるにちがいない。それをさがしだしてみよう」

ワクスマンは、土の中では結核菌がいつのまにか死んでしまうことを知って、こう思いつきました。しかし土の中には、数えきれないほどたくさんの菌がいます。そのなかからめざす菌をさがすことは、考えただけで気の遠くなるようなことでした。

くる日もくる日も、こつこつとねばり強く研究をつづけました。そのうちに、ふとしたことから放線菌という菌のいる土の中では、ほかの細菌類が少ないことに気づきました。放線菌には、ほかの細菌をほろぼす力があるということをつきとめたのです。これは大きなヒントになりました。

さらに研究をつづけたワクスマンは、1943年になってとうとう、ストレプトミセス・グリセウスという放線菌から、ストレプトマイシンをとりだすことに成功しました。また、ストレプトマイシンをつくる菌が、自然のなかではとても少ないことから、これを人工的に育てる方法もみつけたばかりでなく、自然にあるもの以上にききめのある菌も、つくりだしたのです。

それまで結核は、かかったら最後、けっして治らない病気といわれていました。ところがストレプトマイシンは、結核菌だけでなく肺炎菌などにも、おどろくほどの効果がありました。この薬が発見されたことによって、いったいどれほどおおぜいの患者がすくわれたことでしょう。

ワクスマンは、1952年にノーベル生理・医学賞を受けました。その授賞式の帰り、日本にもたちより、各地で講演をしています。そのご、ストレプトマイシンの特許料の一部で日本ワクスマン財団をつくり、研究者の育成にもつくしました。


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