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(17)

ヒトラー(1889-1945)

ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは、オーストリア北部で生まれました。父は、あまり地位の高くない役人でした。しかし、この父も、そして母も次つぎに失い、ヒトラーは18歳のときに、妹とふたりだけの孤児になってしまいました。

少年時代、ヒトラーは、実業学校を2度も3度も落第しました。性格が少しかたよっていたからだ、といわれています。画家を志して受験した美術学校の試験にも失敗しました。進学をあきらめてから5年のあいだは、定まった仕事にもつかずに、絵をかいて売るなどして、気ままにくらしました。

1914年、第1次世界大戦が始まりました。25歳のヒトラーは、オーストリア国民でありながら、国境を越えてドイツ軍へ入隊しました。ドイツ帝国主義にあこがれていたのです。戦場では、伝令兵として手がらをたてました。でも、戦争はドイツの敗戦に終わりました。ヒトラーが、戦勝国へのにくしみをたぎらせて、心に闘争をちかったのは、このときです。

1919年、ヒトラーは、のちにナチス党とよばれるようになったドイツ労働者党へ入って、政治活動を始めました。2年ごには、早くも党首になり、独裁者への第一歩をふみだしました。

「ドイツ人はすぐれているのだ。強力な政府をつくれ。強い軍隊をもて。共産党はつぶせ。じゃまになるユダヤ人は追いだせ」

ヒトラーは、たくみな演説であやつって、労働者、資本家、軍人をひきつけ、ナチス党の力を大きくのばしていきました。

1923年には、政府をたおす革命に失敗して捕えられ、牢へ入れられました。ナチス党も解散させられました。しかし、ヒトラーは、口をつぐみませんでした。獄中で「わが闘争」を書きつづって、ドイツ帝国の建設をうったえつづけました。

牢をでて、およそ10年ご、ヒトラーは、ついにドイツ最高の指導者になりました。たてなおしたナチス党を、ドイツ最大の政党へ育てあげ、その力で、大統領の地位についたのです。

「わたしは総統である」。ヒトラーは、こう叫んで立ちあがりました。国民の自由をうばい、反対者は、ようしゃなく捕えました。そして、1939年9月1日、ドイツ軍をポーランドに侵入させて第2次世界大戦をひき起こし、独裁者の道をくるったようにつき進みました。ユダヤ人を、つくりあげた人種差別でドイツ国民の敵にしたてあげ、アウシュビッツ強制収容所で数百万人も虐殺したのも、まさに、くるったしわざでした。

ドイツの人びとがナチス党の残虐さに気づいたときは、戦争は終わり、ヒトラーは自殺して独裁者の生涯を終えていました。


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