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(17)

ド・ゴール(1890-1970)

「祖国フランスの名誉のために、生きなければいけない」

学者だった父に、このように教えられて育ったシャルル・ド・ゴールは、中学校を卒業すると、陸軍士官学校へ進みました。

1914年に始まった第1次世界大戦では、負傷して、ドイツ軍の捕りょになりました。しかし、ドイツ軍の降伏で戦争が終わると、さらに、陸軍大学校に学び、しだいに、フランス軍の指導者へ昇進していきました。

1939年に第2次世界大戦が始まり、つぎの年、ド・ゴールは、国防次官に任命されました。そしてついにフランスの名誉のために、立ちあがるときが、おとずれました。フランス軍は、強力な航空機と戦車をそろえたドイツ軍に敗れ、このときのフランス大統領は、あっけなくドイツに降伏してしまったのです。

「フランスは、ひとつの戦いには敗れたが、戦争に負けてしまったのではない。どこまでも、戦いをつづけよう」

ド・ゴールは、イギリスへのがれ、ラジオで、フランス国民によびかけました。そして、自由フランスの名をかかげた組織をつくり、祖国を占領したドイツへの抵抗をつづけました。

1945年、連合国軍の勝利で戦争は終わり、国の名誉を守った英雄としてたたえられたド・ゴールは、新しくうちたてた臨時政府首相の地位につきました。しかし、憲法問題で議会と対立としてわずか数か月で首相をしりぞき、指導政党を解散したのち、国の政治からはなれました。未来の平和を願って「世界大戦回顧録」を書き残したのは、このときです。

1958年、ド・ゴールは、ふたたび、国の指導者となりました。フランスの植民地アルジェリアでくすぶり始めた、革命の火を消すために、国民にのぞまれて、ふるい立ったのです。

「もう、植民地を、力でおさえつけておく時代ではない」

フランス共和国大統領となったド・ゴールは、植民地を次つぎに独立させました。アルジェリアの火も1962年に消しとめて、独立をみとめました。そして、それらの新しい独立国をまとめてフランス共同体をつくり、フランス国家の勢力を、さらに強いものにしていきました。

いっぽう外交にも力を入れ、ソ連、中国などとも、すすんで交わりました。はば広い外交による世界の平和を考えたのです。

ド・ゴールは、1965年に大統領に再選されてからも、世界のどんなに大きな力にも屈しない独自の外交をおし進めました。

大統領として強い権限をふるったことには、ひはんもありました。しかし、祖国フランスのために生きた栄光の生涯でした。


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