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(17)

チトー(1892-1980)

アドリア海をはさんでイタリアと向かいあったところに、6つの共和国からなり、いくつもの民族が違った言葉をもつ、ユーゴスラビアがありました。チトーは、このふくざつな国を、たくましい社会主義連邦共和国へ育てあげた政治家です。

貧しい農家に生まれたチトーは、15歳のときから、かぎづくり職人の見習いになって、はたらきはじめました。

22歳の年の7月、第1次世界大戦が始まりました。チトーは、戦争には反対でしたが、戦場ヘおくられました。ところが、重傷を負ってロシア軍の捕りょとなってしまいました。チトーが、自分の生きる道を発見したのは、このときです。

ロシアで、労働者たちが政府をうちたおす革命がおこり、これを見たチトーは、はたらくものが幸せになる社会の建設のために生きていくことを、心にちかったのです。

戦争が終わって祖国へ帰ると、共産党へ入って、革命家への道をあゆみはじめました。36歳のときは、ひみつの政治活動がとがめられてとらえられ、6年ものあいだ、牢獄に閉じこめられました。でも、革命への情熱の火は消しませんでした。

「祖国ユーゴスラビアは、ほかの国を武力で侵略する帝国主義の戦争に、けっして、まきこまれてはならない」

1939年に始まった第2次世界大戦では、どこの大国にも味方をしないことを宣言しました。しかし、ドイツ軍が侵略してきました。チトーは、いくつもの民族の心をひとつにまとめ、祖国愛にもえるゲリラ部隊をひきいて、戦いつづけました。

ドイツ軍を国から追いだし、戦争は終わりました。

「すべての労働者が幸せになる、社会主義国家を建設しよう」

1945年、連邦人民共和国を宣言して首相になったチトーは、社会主義の政治をおし進めました。やがて、同じ社会主義国のソ連ともはなれ、世界のどんな大きな勢力にもよりかからない中立主義をかかげて、平和主義にもえる国家を建設していきました。アメリカの勢力とソ連の勢力がひそかににらみあっている冷戦を、世界の平和のために、にくんだのです。

1963年、新しい憲法が定められて、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が生まれました。このときチトーは、偉大な力がたたえられて終身大統領にえらばれ、そのごも、ヨーロッパやアジアの中立国が、世界の第三勢力として固く団結していくことを、10年も、15年も叫びつづけました。

「大国の支配をこばんだ巨人」。これが、1980年に88歳の生涯を終えたチトーへ、世界の人びとがささげた言葉でした。


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