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(18)

スカルノ(1901-1970)

インド洋と太平洋のあいだに、インドネシアがあります。スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスのほか、大小1万3000あまりの島が集まっている共和国です。しかし、1945年に第2次世界大戦が終わるまでは、オランダに支配された植民地でした。

1901年、その植民地時代にジャワ島のスラバヤで生まれたアハマッド・スカルノは、子どものころから、自分たちの独立国をもたない悲しさに心をいためながら育ちました。そして1925年にバンドン工科大学を卒業すると、2年ののちにはインドネシア国民党をつくって、民族独立の戦いへ立ちあがりました。

ところが、たちまちオランダの役人ににらまれ、1929年にとらえられたときは2年、1933年にとらえられてからは9年ものあいだ、牢や島にとじこめられてしまいました。1939年に第2次世界大戦が始まったときも、とらえられたままでした。

1942年、インドネシアを占領した日本軍の力で、スカルノは、やっと自由の身になりました。でも、こんどは、わがままな日本軍のいうことを聞きながら、戦争が終わるのをまたなければなりませんでした。

1945年8月に戦争が終わり、スカルノは、おりから出されたライオンのようないきおいで、立ちあがりました。

「オランダも長い戦争でつかれている。いまだ」

このようにさけんだと思うと、8月17日にはインドネシア独立を宣言し、新しい憲法を定めて大統領になったのです。

しかし、独立の声をあげてはみたものの、まだまだ平和はおとずれず、それからおよそ4年のあいだ、もとの植民地にもどそうとするオランダと、戦わなければなりませんでした。

1949年に、オランダは、ついにインドネシアの独立をみとめ、つぎのとしにインドネシア連邦共和国が誕生しました。ところが、スカルノ大統領には、これからさきが、さらにたいへんでした。

国土が数おおくの島にわかれているため、国民の心がひとつにまとまらず、各地で国民どうしの争いが起こりました。民主主義の国をきずくため、国民のなかからさまざまな代表を集めて話しあいの政治を進めていこうとしましたが、成功しませんでした。そのうえ、共産党の人たちとも手をむすんで政府をつくったことから、政府と軍人がにらみあうようになり、1967年、ついにスカルノ大統領は、陸軍司令官スハルト将軍に大統領の地位をゆずることになってしまいました。

スカルノは、1970年に69歳で亡くなりました。この建国の父の生涯には、心の休まるときはありませんでした。


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