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(18)

サルトル(1905-1980)

「人間は、たとえ人生がむだにあたえられたものであっても、自分の未来は自分でつくりだして、人生に価値を生みださなければいけない。自分の生き方は自分でえらびとるべきだ。自分の人生を自分でえらべるからこそ、人間は自由である。しかし、自由であるかわりに、自分が生きていることについては、すべて、自分が責任をもたなければならない」

ジャン・ポール・サルトルは、このような考えの実存主義をもとにして人間のあり方を追究した、フランスの小説家です。

サルトルは、海軍の技術将校だった父を2歳のときに失い、およそ10年後に母が再婚するまでは、祖父の家で育てられました。このとき、空想科学小説などを読みふけり、早くから、自分でも物語を書きはじめたということです。

19歳で、高等師範学校へ入学しました。サルトルが、その後ひとすじに愛しつづける女流作家ボーボアールにめぐりあったのは、ここで哲学を学んでいたときのことです。ふたりは、おたがいの自由をみとめあって、正式には結婚しませんでした。しかし愛情は、ふつうの夫婦以上に深かったといわれています。

師範学校を卒業したサルトルは、徴兵義務で2年ほど軍隊生活を送ったのち、高等中学校の教師になりました。そして、世界の名作を読みかさねて自分の思想をみがき、哲学の論文や短編小説を発表して、哲学者、小説家の道を歩みはじめました。

1938年、長編小説『嘔吐』を発表すると、サルトルの名はいちどに高まりました。実存主義に心をよせてきたサルトルは、この作品のなかで「人間の存在の意味」を、するどく追究してみせたのです。そして、数年後には『蠅』『出口なし』などの戯曲も発表して、人間が生きていくために背負わなければならない問題を、さらに深く問いかけました。

いっぽう、1943年には、哲学の大著『存在と無』を著して、ここでも「人間は、どうしたら自己の存在をみとめることができるか」を、問いつめました。

第2次世界大戦が終わった1945年には教職をしりぞき、その後は、長編小説『自由への道』をはじめ戯曲『汚れた手』『悪魔と神』などを書きつづけました。そして1964年には、ノーベル文学賞の受賞者にえらばれました。しかし、人間の自由をたいせつにしたサルトルは、、受賞をことわってしまいました。

「人間は、自分の意思と判断で、生きていかねばならない」

このことを訴えつづけたサルトルは、1980年に75歳で亡くなりました。人間とは何かを考えつづけながら……。


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