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(18)

ナセル(1918-1970)

エジプトの政治家ガマール・アブドゥル・ナセルは、古代エジプト文明を生んだナイル川のほとりで、1918年に生まれました。父は郵便局員でした。

エジプトは、ナセルが生まれて4年のちの1922年にイギリスの支配からのがれ、王国として独立を宣言していました。しかし、じっさいの政治の権力はイギリスににぎられたままでした。

「イギリスの支配がつづくかぎり、ほんとうの独立国ではない」

愛国心にもえていたナセルは、少年時代からこのように考え、早くも中学生のときにイギリスの権力に対する反対運動をおこなって、退学させられそうになったことがありました。

20歳で士官学校を卒業すると、4年ごには教官に任命されましたが、やがて、エジプト民族のことを考えるなかまと自由将校団をつくり、ひそかに革命計画を進めました。そして、1952年、ついに目的を達成しました。革命委員会と名をかえた自由将校団が立ちあがって国王を追放し、共和国宣言に成功したのです。ナセルは、1956年に共和国憲法が定められると、初代の大統領になりました。まだ36歳の若い大統領でした。

ところが、ナセルの前には、ただちに大きな問題が立ちふさがりました。エジプトは、ナイル川に世界最大のアスワン・ハイ・ダムの建設計画を進めていましたが、資金の援助を約束していたアメリカとイギリスが、イギリスの支配からのがれたナセル政権に対抗して、その約束をやぶってきたのです。

ナセルは,ダム建設資金を生みだすために,イギリスが支配していたスエズ運河の国有化を宣言しました。そして,それはスエズ動乱へと発展しました。でも,ナセルは勇気をもって動乱をきりぬけ,ナイル川のダムもソ連の援助を受けて,約10年でみごとに完成させました。

アラブ諸国がひとつになることを夢に見ていたナセルは、1958年には、シリアとむすんでアラブ連合共和国を建設しました。しかし1961年には分裂し、さらに1967年には、六日戦争とよばれるイスラエルとの戦いに敗れ、その3年のちに心臓の病気で急死してしまいました。

ナセルは、民族的な戦いだけではなく、国内の政治にも力をつくし、教育の充実、医療制度の改善、貧しい農民を救うための土地改革などに大きな業績を残しました。また、アフリカの民族解放運動などにも兵を送り、力の弱い国ぐに発展のために手をさしのべました。ナセルが死んだとき人びとは「ナセルは死んだけれど、その名は永遠に残る」とたたえたということです。


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